なるほどなるほど2013年01月06日

今年の初読了本は、記憶に残りそうです。


 『社会運動の戸惑い
   フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』
     山口智美 斉藤正美 荻上チキ  勁草書房 2012/10 (写真)


「まえがき」にはこうあります。

 “本書は、「男女共同参画」や「ジェンダーフリー」という言葉の使用に端を発する、フェミニズムと保守系反フェミニズム運動との係争について、当事者たちへの聞き取り調査や参与観察を行い、エスノグラフィー(文化の記述)としてまとめたものである。”                   

エスノグラフィー。

文化の記述。と()書きされても、
なんのことだかわからない言葉にまたまた出会いましたが、
続く文章にはこうあります。

 “本書の特徴は、フェミニズム側である私たち筆者が、反フェミニズム側への聞き取りを行っていることである。”

フェミニストの著者たちが、それに反対し対立している人に会い、話を聞いてまとめたのがこの本ということです。


フェミニスト。

実はその意味もよくわかっていません。私。



私は「男尊女卑」について、
無視しようにもできないほどの興味と関心をもって生きてきました。

女だからってなんでやってはいけないの? 
と思った最初の記憶は小学校3年生のとき。
それは怒りを伴った強い感情で、
女である私自身に悔し泣きをしたほどでした。

その後も、
時代はもちろん地域性も強くあったと思うのですが、
「女は男に黙って従う」、
「女は男の後」、
であることがあたりまえである環境の中で育ち暮らしてきました。

それを疑問に思い言葉にすることさえしんどい環境であり、
そういうことは思わないこと、考えないようにすることが、
そこで生きる術でした。


気づかないこと。
気づいてしまうと生きづらくなるから。


それでも二十代のころ、
上野千鶴子さんの著書に出会い刺激を受け、
結婚を考えることをきっかけに、
日本の婚姻制度について調べたり考えたりもしました。


でも、
フェミニズムとかフェミニストというものには近づくことができませんでした。
というか、積極的に近づこうと思いませんでした。

いくらその本を読んでも、どこか距離を感じたし、
なんとなくの違和感もありました。

なので、
「男尊女卑」については敏感に反応する私ですが、
私はフェミニストか?
というとそうとは思わないし、
そもそも、
私はフェミニストか?と考えたこともありません。


そんな私が、
フェミニストと反フェミニストの対立を記したこの本を読んでも、
そんなピンとくるはずはないのですが、
ところがどっこいで、
とてもとても興味深く面白く読ませていただきました。



そして、
いつのまにか巷にあふれていた「ジェンダー」という言葉。
「ジェンダーフリー」という言葉も合わせて、
なんとなくわかったようなふりをして使っていたけれども、
その言葉の「そもそも」についても書かれているので、
なるほど…!と思いました。


でも、やっぱり近づいた感は持ちませんでした。



近づいた。
どころか、
これまで近づけなかったことの理由がわかったと思っているところです。

フェミニズム・フェミニスト・ジェンダー・ジェンダーフリー

私が40年以上もずっと感じたり考えてきたことは、
そのような言葉を使ってのものではないということがわかったのです。



私が考えたいのは「けがれ」という言葉を使ってのこと。
あるいは「おそれ」。
そしてそこには「敬」という言葉も含まれています。


結局、そこに戻るのか。
と思っています。
そのことをつらつらと考え、
初めて言葉にして他人に聞いてもらったのは5年ほど前のことでした。

そのとき、
そのことをもっと学んで考えるようにとアドバイスをもらったのですが、
私自身はそこまでの思いはありませんでした。

でも今回この本を読んで、
私の興味はそっちではなくこっちやった。やっぱり!
と思うことができました。

そのような気持ちが明確になっていく過程が、
本読みと重なっていく体験は、
ほんとうに面白くて楽しいものでした。

お正月早々、よい本読みができました。



そして、
保守系反フェミニズム側の人の考えも、とても興味深かったです。
「宗教」を考えるうえでも参考になりました。




そんなこんなで、
今年も本読みはやめられません。

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