土星(=作者)と戦う。という物語。2011年10月07日

この本も、美しい本です。

 『紙の民』 サルバドール・プラセンシア
          藤井光/訳 白水社 2011/7 (写真)

文章のレイアウトも含めて、
ブックデザインが凝っていて、
原書はどんな感じやろ…と思いながら読みました。

“上空から見下ろす作者=《土星》の存在に気づき、
 自由意志を求めて立ち上がった登場人物たち。
 ページの上で繰り広げられる奇想天外な
 「対土星戦争」の行方は?

 メキシコ出身の鬼才による
 鮮烈な処女小説!” (帯のことば)

この紹介文を頼りに読み始めたときは、
どんな激しい戦い(戦争)が、
ドンパチドンパチ起きるのかと思っていたのですが、
そうではありませんでした。

登場者たちの細やかな感情の揺れが、
ちょっとした言葉や動作や景色の描写で表わされていて、
次々と登場する人たちの、
短い、
ほんの断片でしかない描写から、
その人の人生や感情があふれ出ているように思われ、
受けとめたりすくいとったりして読んでいきました。

黒塗りされ、
覆い隠された「言葉」(思考)もまた、
語られる物語をさらに豊かにするものとして読みました。

確かに奇想天外な物語ではあるけれど、
それだけを狙った物語ではなく、
いつかどこかで読んだ物語であったり、
私もまたそのように感じたことがある出来事であったりが、
登場者を変え、
視点を変え、
して語られていきます。


そこにはたっぷりの物語がたゆたゆとしていました。



「物語」って、
想像できるもの。

なのかも。


小説は作者(=土星)のもの(作品)ですが、
他者(読者)が読むことで、
読者個人の想像を加えて、
読者(私)のもの(物語)にしてしまいますから。



私は私のものにしてしまえる物語が好き。

なんだな。おそらく。

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