新年でございます。2013年01月03日

あけましておめでとうございます。

2013年。
平成25年。
は、巳年。ですね。

ねじめ民芸店で買ったへびさん(写真)が、
今年の我が家に登場して早三日。
穏やかなお正月ながらも、
ちょっとしたアクシデントがあり、
それを笑って対応できたので、
今年はこんな感じでいけるかな?
と、思っているところです。


昨年は、
閉じたご縁もありましたけど、
新しく開いたご縁もありました。
おひさしぶりでございましたのご縁もありましたし、
出会いと別れの積み重なりというものを強く感じました。


今年は、
そんなご縁とのつながりようを楽しもうと思います。

どうしたって、
今年もどたばたしそうやし。

春と夏には生活がまた変わりそうやし。
落ち着こうなんていう妄想は捨てて、
そういう事の成り行きを、
面白がって楽しめるといいと思うし、
そうやっていこうと思います。


とはいえ、
今日もまだお正月の三が日。

おいしい日本酒(写真)も、
もうしばらくひとり占めできそうでございます。


みなさまもよいお正月を。



なるほどなるほど2013年01月06日

今年の初読了本は、記憶に残りそうです。


 『社会運動の戸惑い
   フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』
     山口智美 斉藤正美 荻上チキ  勁草書房 2012/10 (写真)


「まえがき」にはこうあります。

 “本書は、「男女共同参画」や「ジェンダーフリー」という言葉の使用に端を発する、フェミニズムと保守系反フェミニズム運動との係争について、当事者たちへの聞き取り調査や参与観察を行い、エスノグラフィー(文化の記述)としてまとめたものである。”                   

エスノグラフィー。

文化の記述。と()書きされても、
なんのことだかわからない言葉にまたまた出会いましたが、
続く文章にはこうあります。

 “本書の特徴は、フェミニズム側である私たち筆者が、反フェミニズム側への聞き取りを行っていることである。”

フェミニストの著者たちが、それに反対し対立している人に会い、話を聞いてまとめたのがこの本ということです。


フェミニスト。

実はその意味もよくわかっていません。私。



私は「男尊女卑」について、
無視しようにもできないほどの興味と関心をもって生きてきました。

女だからってなんでやってはいけないの? 
と思った最初の記憶は小学校3年生のとき。
それは怒りを伴った強い感情で、
女である私自身に悔し泣きをしたほどでした。

その後も、
時代はもちろん地域性も強くあったと思うのですが、
「女は男に黙って従う」、
「女は男の後」、
であることがあたりまえである環境の中で育ち暮らしてきました。

それを疑問に思い言葉にすることさえしんどい環境であり、
そういうことは思わないこと、考えないようにすることが、
そこで生きる術でした。


気づかないこと。
気づいてしまうと生きづらくなるから。


それでも二十代のころ、
上野千鶴子さんの著書に出会い刺激を受け、
結婚を考えることをきっかけに、
日本の婚姻制度について調べたり考えたりもしました。


でも、
フェミニズムとかフェミニストというものには近づくことができませんでした。
というか、積極的に近づこうと思いませんでした。

いくらその本を読んでも、どこか距離を感じたし、
なんとなくの違和感もありました。

なので、
「男尊女卑」については敏感に反応する私ですが、
私はフェミニストか?
というとそうとは思わないし、
そもそも、
私はフェミニストか?と考えたこともありません。


そんな私が、
フェミニストと反フェミニストの対立を記したこの本を読んでも、
そんなピンとくるはずはないのですが、
ところがどっこいで、
とてもとても興味深く面白く読ませていただきました。



そして、
いつのまにか巷にあふれていた「ジェンダー」という言葉。
「ジェンダーフリー」という言葉も合わせて、
なんとなくわかったようなふりをして使っていたけれども、
その言葉の「そもそも」についても書かれているので、
なるほど…!と思いました。


でも、やっぱり近づいた感は持ちませんでした。



近づいた。
どころか、
これまで近づけなかったことの理由がわかったと思っているところです。

フェミニズム・フェミニスト・ジェンダー・ジェンダーフリー

私が40年以上もずっと感じたり考えてきたことは、
そのような言葉を使ってのものではないということがわかったのです。



私が考えたいのは「けがれ」という言葉を使ってのこと。
あるいは「おそれ」。
そしてそこには「敬」という言葉も含まれています。


結局、そこに戻るのか。
と思っています。
そのことをつらつらと考え、
初めて言葉にして他人に聞いてもらったのは5年ほど前のことでした。

そのとき、
そのことをもっと学んで考えるようにとアドバイスをもらったのですが、
私自身はそこまでの思いはありませんでした。

でも今回この本を読んで、
私の興味はそっちではなくこっちやった。やっぱり!
と思うことができました。

そのような気持ちが明確になっていく過程が、
本読みと重なっていく体験は、
ほんとうに面白くて楽しいものでした。

お正月早々、よい本読みができました。



そして、
保守系反フェミニズム側の人の考えも、とても興味深かったです。
「宗教」を考えるうえでも参考になりました。




そんなこんなで、
今年も本読みはやめられません。

数字は苦手なれど2013年01月14日

今年初めて読んだ物語(小説)。

少々鬱々とした読書が続いていたのもあったので、
本読みって楽しい!
と、あらためて感じられた本となりました。


 『金の仔牛』 佐藤亜紀 講談社 2012/9 (写真)


といっても、
金融・株・経済・・・、
のことは苦手でどうにも頭がついていかず。
数字が立て込んで、
儲け話のからくりが語られる場面では、
なんやふわ~っとしました。

でも、
勢いのある会話に、
なんとなくの様子はわかり、
ふむふむなるほど…と、
その場のはじっこにいるかのような臨場感を味えました。


物語は18世紀初頭のパリ。
追い剥ぎの青年が儲け話に乗り、
株取引の世界に身を投じ、
一癖も二癖も、
それ以上にも癖のある登場者たちの間をすり抜け、
命も、
愛する女性も手に入れるハッピーエンド。


そのなかで、
私はヴィゼンバック三兄弟が大好きになってしまいました。

ユーグ、アンリ、エルヴェ。

動く彼らが見たい…。

ので、映画化、してほしい。
アニメでもいい。

動いて会話する姿が見たい!



そんな、怪しい怪しい人物たちばかりですけど、
なぜか誰も憎めないのです。
人も死ぬし、
主人公の命を脅かす極悪人もいるんですけどね。



バブルってこういうことなのかも。

私には縁のないことだけど、
その興奮や熱やスリル、
それゆえのオソロシサを感じることができました。


そしてハッピーエンド。

それはそれは痛快!でございましょう。


年の初めにはもってこいの物語で、
たっぷりでした。

「図書新聞」購読はじめました2013年01月22日

新聞をとらなくなってしばらくたちます。

長年購読していた新聞をやめるにあたっては、
ちょっとしたすったもんだがありましたが、
(販売店・新聞社から引き留め営業作戦があったので)
新聞、なくても大丈夫。
どころか、
なんやらすっきり。
身軽になったような気さえしました。

日々のニュースはネットとテレビで間に合うし、
しっかり読みたくなったらその都度、
好きな新聞をコンビニで買えばいいし、
なにより、
大量に挟み込まれている広告を片付ける必要がなくなって楽になりました。

それから、
目にしてはザワツクことが多くなっていた、
週刊誌の広告を見なくてすむようになったのもよかった。

逆に言えば、
そういうのがけっこう日々のストレスになっていたんですね。


だけど、
ということはつまり、
出版社の新刊広告や書評も目にしなくなったわけですが、
それは、
出版社のHPや書評のブログをチェックしたり、
新刊案内のメルマガを読んだりして、
欲しい情報を自分から探していくようにして補いました。


それで充分だったんですけどね。


ところが先日たまたま、
「図書新聞」の見本誌プレゼントという情報をネットでみつけてびっくり。

「図書新聞」は以前から知っていたけど、
私のようなただの読者が個人で購読するものではないと思い込んでいました。

だから、
いいのかしら?
いいのよね?
見本誌、送ってくれるっていうし…。

というわけで応募してみたのでした。


そして届いた「図書新聞」。

いつもチェックしているジャンルとは違う本がいっぱい。

でも、
思っていたほど業界業界してなくて、
私はお呼びでございませんね…的な印象はなく、
毎週土曜日に届く週刊というのもちょうどいいなと思えたので、
これもきっとなにかのご縁ということで、
購読料を振り込んで、
定期購読をはじめたというわけでした。


それ以来、
小難しい本満載の新聞が届いています。(写真)


でも、そういう本ばかりではなくて、
私も読んで、
このブログやツイッターで紹介した本も載っていました。

 『サラスの旅』(シヴォーン・ダウド ゴブリン書房) 第3094号
 『ミナの物語』(デイヴィッド・アーモンド 東京創元社) 第3095号
 『ゆめたまご』(たかのもも フレーベル館) 第3095号
 

始まったばかりの連載の、
「パリの図書館・書店は国際色が豊か」(竹原あき子)
では、
やはり以前に紹介した、
 
  『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』
     (ジェレミー・マーサー 河出書房新社)

の「シェイクスピア・アンド・カンパニー書店」が取り上げられていて、
続きを読むのが楽しみであったりもしています。


そしてなにより、
新しいことがはじまった。というのもいい感じ。


ひとつひとつ。
終わらせたりはじめたり。です。

期待通り。すぎる。のはつまらない。2013年01月25日

読む前から「きっと面白いだろう」と思っていました。


 『幕が上がる』 平田オリザ 講談社 2012/11 (写真)


高校の演劇部を舞台にした青春小説です。


実際、面白かったです。

正しい青春小説…と思いました。

課題図書とか推薦図書とかなりそうです。

高校の司書さんとか、
すごいはりきって生徒さんに紹介しそうです。

演劇部があれば、部室図書常備本になりそうです。


なのでそれ以上思うことはないのですが、
逆に、
それがちょっと面白くないと思って読了しました。


読みやすいので、
加速度的に読み進んでいき、
そのうち、
物語ではなくて、まるで記録を読んでいるかのような気分になりました。

が、
いまどきの小説はそういう読みやすさが必要なんでしょうね。


それから、
主人公の変化(成長)と、
それによって変わっていく演出やセリフが見事で、
感動しながらもどこかで冷めてもいきました。


そんなふうな変化(成長)を、
大人は若い人に求めるわけです。よ。

大人って、やぁね。 と思ってしまう私。



宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」が使われたり、
谷川l俊太郎の「二十億光年の孤独」が出てきたり、
して、
それらが私を懐かしい景色に連れ出してくれたと同時に、
もうちょっと勘弁してくれへんかなぁ。と、
うんざりもしてしまいました。


なんででしょうね。


私たちが若いころに影響を受けたものが、
今の若い人たちにも影響を与えるとは限らない。

ということをまざまざと思うことがよくあるからかもしれません。

もちろん、
世代を超えて影響を与えるものはあって、
「銀河鉄道の夜」も「二十億光年の孤独」もそうであるのでしょうけど。


そんなとても正しい感じが、
つまらんなぁと思えてしまったのかもしれません。


私には。