わからなくて…2009年01月15日

今朝の朝日新聞朝刊の広告です。(写真)

『くまとやまねこ』
     湯本香樹実/文 酒井駒子/絵 河出書房新社 2008

が、第1回MOE絵本屋さん大賞 第1位 を受賞したようです。

このアンケート用紙を、私もりとるで見ました。

ああ、やっぱりな…。

広告に載っている読者の感想文には、
 “娘に読み聞かせしながら涙があふれました。”
 “30過ぎの男が店で泣いているわけにはいかないので、涙を拭いて   仕事に戻りましたが、家でもう一度泣きました。”
とあり、この絵本が、子どもたちに、ではなく、大人の自分に響いたことがよくわかります。

この絵本が「絵本屋さん大賞」第1位なのです。

もはや絵本は、子どものものであったり、子どもと大人のコミュニケーションツールであったりするだけではなく、大人を癒すためのメディアであり、それでよし、それがよしと、絵本屋さんの大勢が認めているという現実をみせてくれました。

ならば、そこには区別が必要ではないかと思います。

子どものためとみせかけて、子どもを使って、大人が癒されてどうする!と思います。

子どもが子どもでいることの幸せを感じることができる絵本と、癒されたい大人が癒される(場合によっては、子どもが大人を癒してくれたりする)絵本は、別物です。


この『くまとやまねこ』は私も読みましたが、よくわかりませんでした。
心の痛みやせつなさを経て、やがて再び歩き出すことのすばらしさを表現した物語であることはわかるけれど。
今の大人たちが、喪失と再生の物語をどれだけ欲しがっているのかもわからなくはないけれど。
それでも、やっぱりよくわからないのです。

死んだ小鳥は土に埋めてあげたい。
花をしきつめた木箱に入れて、持ち歩くことはできない。
それをともだちに見せたりしない。
大切なものを喪った哀しみを、そうやって強要(あれ?これって強要じゃないのかしら…)されれば、私だって
「ことりはもうかえってこないんだ。つらいだろうけど、わすれなくちゃ」
と言うと思う。
だって、そんなくまの行動が心配だから…。

と、思う、私はおかしいのかもしれません。

大事なのはそれからの展開なので。
そこから再生へと向かう物語に癒されるのですから。

でもな…と、つらつら考えていたら、ふと、お葬式やお通夜で、故人の死に顔を携帯写真で撮影する人がいるという話を思い出しました。
私にはそんなの有り得ない話で、ものっすごい違和感と不快感を抱くのですが、それを、よしとするかどうかの違いなんでしょうか。

う~ん。わからない。
そんな私が、絵本屋(児童書専門店)さんにいたりしています。