考えています ― 2010年03月10日
『おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり』太田大輔 文・絵
福音館書店 月刊「たくさんのふしぎ」2010年2月号 (写真)
福音館書店 月刊「たくさんのふしぎ」2010年2月号 (写真)
は、販売中止になっています。

登場者の喫煙シーンなどが問題となったのです。
(詳細は福音館書店のHPをご覧ください)
が、私はその本の表紙をちらりと見た記憶しかなく、
どこが問題となったのかわからないままでした。
先日、その本を見る機会があり、お借りして読みました。
確かに「ん?」と思える場面はありました。(P,6~7 写真)

子どもたちの受動喫煙を心配している人が、
放っておけないと思うのもわからなくはありません。
もちろん出版社は、それを肯定する意図はなかったと言っていますし、
それはそうだと思います。
それはそうだと思います。
けれども表現として認識不足だったと謝罪され、販売中止の措置となったようです。
それで問題は解決したことになっているのでしょうが、
私は、なんだか取り残されたような気分でいます。
実はこの本が手元にある間に、絵本を作る側にいる人たちと集まる機会がありました。
みなさんにも見てもらって、この絵本が販売中止になったことの意味を一緒に考えることができればと思いました。
作り手さんたちは、
読者であり、絵本を売る側にいる私とはまた別の思いでいるのではないかと、
それを聞いてもみたかったのでした。
でも、話題にはなりませんでした。
というより、絵本を見たのが初めてという人が多く、
(発売中止と知って探したけれど見つけられなかった。という人もいました)
絵本は時間をかけてみなさんの間を回っていきましたが、発言までには至らなかったのです。
(発売中止と知って探したけれど見つけられなかった。という人もいました)
絵本は時間をかけてみなさんの間を回っていきましたが、発言までには至らなかったのです。
それで、私の取り残された感はますますつのり、
今も、考えています。
そして考えているうちに気になってきたのは、
作り手が求めている「表現」が向かっている先です。
「作り手」は、「送り手」と言い替えた方がいいかもしれません。
子どもに本を届けている「送り手」。
(あるいはまた、「本」はさまざまな言葉に言い替えることができそうです。
大きく言えば「文化」とか「環境」とか。
でも、ここでは「本」に限定します。)
(あるいはまた、「本」はさまざまな言葉に言い替えることができそうです。
大きく言えば「文化」とか「環境」とか。
でも、ここでは「本」に限定します。)
それは、子どもが読んだり見たりすることを前提とする本に関わる大人。たち、すべて。です。
だから、子どもに本を読んで聞かせている大人も含まれます。
だから、子どもに本を読んで聞かせている大人も含まれます。
大人は、子どもに何を伝えようとして表現しようとしているのでしょう?
そして実際表現しているのでしょう?
なんだかね、
ただ自分を表現したいだけなような匂いがしているのです。
その先に、実際にいる子どもたちの姿は感じられません。
なのに何で、子どもに届けようとするのかしら。
大人ではなく。子どもに。
ただ自分を表現したいだけなような匂いがしているのです。
その先に、実際にいる子どもたちの姿は感じられません。
なのに何で、子どもに届けようとするのかしら。
大人ではなく。子どもに。
そこにいろんな思惑があることも見えています。
見えているうえで、それでも考えています。
見えているうえで、それでも考えています。
それって、子どもを利用しているだけなんじゃないの?
って、いじわるく考えたりもします。
子どもの本がある現場が混乱しています。
整理したくて情報収集しているのに、
混乱の根の深さを知るばかりです。
混乱の根の深さを知るばかりです。
ずっと考えています。
ときどき誰かに聞いてもらいたくなります。
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