本屋さんが好き。ということ ― 2013年08月10日

残暑お見舞い申し上げます。
そんなわけで(どんなわけかは省略)、
またまたまた「カメ係」代行をしている今日この頃。
なんでいるのかわからないカタツムリさんも育てつつ、
気を抜いて水やりを忘れると、
とたんに枯れ姿をみせてくれる鉢植えさんたちのお世話をしつつ、
この夏は出かけるのか?と自問自答を繰り返しています。
京都とか?
行きたい場所は他にあるけど、
まだ、
おひとりさまで出かける気になれずにいて、
「特急で日帰りできますよ」とか、
「行けばすぐにわかりますよ」とか、
そこ知ってる人から、
「さっさと行ってきなはれ~」っておススメされているけれど、
動けない。
動かない。
どうしたもんでしょうねぇ。
暑くて思考停止! (嘘!)
京都に行くと、
おひとりさまでも行くお店がいくつかあって、
「三月書房」もそのひとつ。
(写真はそこで買った積読本。「記紀」関係本)
以前から、
行ってみたい本屋さんだって、
行ってみたら棚が面白くて、
行くたび何冊か買ってしまうという、
私には実用的本屋さんです。
最近、
「街の本屋さん」が好き。とか、
「街の本屋さん」を応援。とかいう言葉を、
ネットや雑誌で見ることが続いていて、
なんやちょっとじらじらしています。
私も昔は「本屋さん好き」でした。
「町(街というよりは)の本屋さんを応援!」という気持ちがあったこともありました。
が、
今は、
そんなかつての私を遠い目で見る私がいます。ここに。
本屋さんを応援したい!助けたい!
という本屋好きの人の気持ちはよくわかるのですが、
お店にある本を買ったり、注文をしたりして、
本をその店で買うことでしか助けることができないのであれば、
(というかそれしかできないのですけど)
それさえも、
本屋さんには負担になってしまうこともあると、
私は知っているのです。
そんな話をお店の人から聞いて驚いたのは、
もう10年以上も前のことです。
その後状況はよくなることはなく、
いくつもの本屋さんの閉店をみてきています。
そこには、
本屋好きの人たちの熱い思いを受けとめきれない現実があって、
それが本屋さんを追い詰めていることを、
知っている業界の人は多いと思うけど、
それを語る言葉を、
あんまり見聞きしないのはなんでやろ?と思います。
「本屋さんが好き」を語る言葉に、
ただはしゃいでいるだけ感を抱いてしまう私は、
そ~と~な、
ひねくれものであろうことはわかっておるんやけれども。
だけど。
本を買ったり、注文出したりすることが、
そのお店に負担をかけていると知らされたとき、
私は言葉を失くしたことを思い出すのです。
じゃあ、私はどうしたらいいの? とさえ言えなかった。
なので。
「本屋さんが好き!」
「街の本屋さんはなくなって欲しくない!」
って、
言ってる人がちょっとうらやましかったりする。
のは、
今も、
どうしたらいいの?の答えが出ていないからだと思います。
っていうか、
答えはないのでしょうけどね。
もう、どうもしようがない。
と、あきらめていますから。
だから、
せめて、
本読むの面白いよ。
って言っているのかもしれません。
そして、こちらもどうしましょうか。
夏のお出かけ。
そんなわけで(どんなわけかは省略)、
またまたまた「カメ係」代行をしている今日この頃。
なんでいるのかわからないカタツムリさんも育てつつ、
気を抜いて水やりを忘れると、
とたんに枯れ姿をみせてくれる鉢植えさんたちのお世話をしつつ、
この夏は出かけるのか?と自問自答を繰り返しています。
京都とか?
行きたい場所は他にあるけど、
まだ、
おひとりさまで出かける気になれずにいて、
「特急で日帰りできますよ」とか、
「行けばすぐにわかりますよ」とか、
そこ知ってる人から、
「さっさと行ってきなはれ~」っておススメされているけれど、
動けない。
動かない。
どうしたもんでしょうねぇ。
暑くて思考停止! (嘘!)
京都に行くと、
おひとりさまでも行くお店がいくつかあって、
「三月書房」もそのひとつ。
(写真はそこで買った積読本。「記紀」関係本)
以前から、
行ってみたい本屋さんだって、
行ってみたら棚が面白くて、
行くたび何冊か買ってしまうという、
私には実用的本屋さんです。
最近、
「街の本屋さん」が好き。とか、
「街の本屋さん」を応援。とかいう言葉を、
ネットや雑誌で見ることが続いていて、
なんやちょっとじらじらしています。
私も昔は「本屋さん好き」でした。
「町(街というよりは)の本屋さんを応援!」という気持ちがあったこともありました。
が、
今は、
そんなかつての私を遠い目で見る私がいます。ここに。
本屋さんを応援したい!助けたい!
という本屋好きの人の気持ちはよくわかるのですが、
お店にある本を買ったり、注文をしたりして、
本をその店で買うことでしか助けることができないのであれば、
(というかそれしかできないのですけど)
それさえも、
本屋さんには負担になってしまうこともあると、
私は知っているのです。
そんな話をお店の人から聞いて驚いたのは、
もう10年以上も前のことです。
その後状況はよくなることはなく、
いくつもの本屋さんの閉店をみてきています。
そこには、
本屋好きの人たちの熱い思いを受けとめきれない現実があって、
それが本屋さんを追い詰めていることを、
知っている業界の人は多いと思うけど、
それを語る言葉を、
あんまり見聞きしないのはなんでやろ?と思います。
「本屋さんが好き」を語る言葉に、
ただはしゃいでいるだけ感を抱いてしまう私は、
そ~と~な、
ひねくれものであろうことはわかっておるんやけれども。
だけど。
本を買ったり、注文出したりすることが、
そのお店に負担をかけていると知らされたとき、
私は言葉を失くしたことを思い出すのです。
じゃあ、私はどうしたらいいの? とさえ言えなかった。
なので。
「本屋さんが好き!」
「街の本屋さんはなくなって欲しくない!」
って、
言ってる人がちょっとうらやましかったりする。
のは、
今も、
どうしたらいいの?の答えが出ていないからだと思います。
っていうか、
答えはないのでしょうけどね。
もう、どうもしようがない。
と、あきらめていますから。
だから、
せめて、
本読むの面白いよ。
って言っているのかもしれません。
そして、こちらもどうしましょうか。
夏のお出かけ。
イマドキの「青春」ってやつ? ― 2013年08月19日

表紙の、
爽やか笑顔の男子二人に、
これは、キラッキラ青春小説か…。
と思いつつ、
著者名「壁井ユカコ」をみて、
いや、ちょっとクセあるかも?
と、
期待して読みました。
『2.43 清陰高校男子バレー部』 壁井ユカコ
集英社 2013/7 (写真)
2.43
は、なんのことかは読んでいる途中でわかりました。
男子バレーをよく知る人にはお馴染みの数字なんでしょうね。
その数字をタイトルに持ってくるあたり、
やっぱりちょっとヒトクセあって、
表紙の二人の男子の他にも、
魅力的な登場者たちが、
それぞれのボジションで、
それぞれの「青春」というコートの中で奮闘している様子が、
やや甘ったるい科白で描かれていきます。
甘ったるい。
という印象が残りました。
登場者たちが抱えている事情や状況には、
切羽詰まった感があって、
その問題をどう乗り越えていくんやろ?
という興味が、
この小説を読ませる期待になっていたんですが、
蓋が開いてみたら、
そこそこけっこうなフォローが、
主に周囲の大人たちによってなされていることがわかり、
なんやろ、
なぁんや、
きみらの視野が狭くって、
自分で自分の世界に壁作って、
周りを振りまわしたり傷つけ合いをしていただけやないのぉ。
と思ったわけです。
それこそがまさに「青春」!
なんでしょうけれども。
大人たちの、
うますぎるポジショニングが、
心地よい「青春」のBGMとして流れていることに、
登場者の学生さんも、
おそらく、
読者となる若い人たちも、
気づかなかったりするんやろな…。
と思ったりして、
臭い科白も込みこみで、
甘ったるい感が残ったのでした。
でもそれが、
今の人たちにとっての、
魅力、なんでしょね。
イマドキの、
「青春」時代に、
乗り越える壁は、
「大人」ではないのよ。ね。
それはそれで生きづらかろう。。。
ということを考えさせてくれたので、
やはり、
この作家さんの物語はヒトクセあると思います。
次作も楽しみ。
爽やか笑顔の男子二人に、
これは、キラッキラ青春小説か…。
と思いつつ、
著者名「壁井ユカコ」をみて、
いや、ちょっとクセあるかも?
と、
期待して読みました。
『2.43 清陰高校男子バレー部』 壁井ユカコ
集英社 2013/7 (写真)
2.43
は、なんのことかは読んでいる途中でわかりました。
男子バレーをよく知る人にはお馴染みの数字なんでしょうね。
その数字をタイトルに持ってくるあたり、
やっぱりちょっとヒトクセあって、
表紙の二人の男子の他にも、
魅力的な登場者たちが、
それぞれのボジションで、
それぞれの「青春」というコートの中で奮闘している様子が、
やや甘ったるい科白で描かれていきます。
甘ったるい。
という印象が残りました。
登場者たちが抱えている事情や状況には、
切羽詰まった感があって、
その問題をどう乗り越えていくんやろ?
という興味が、
この小説を読ませる期待になっていたんですが、
蓋が開いてみたら、
そこそこけっこうなフォローが、
主に周囲の大人たちによってなされていることがわかり、
なんやろ、
なぁんや、
きみらの視野が狭くって、
自分で自分の世界に壁作って、
周りを振りまわしたり傷つけ合いをしていただけやないのぉ。
と思ったわけです。
それこそがまさに「青春」!
なんでしょうけれども。
大人たちの、
うますぎるポジショニングが、
心地よい「青春」のBGMとして流れていることに、
登場者の学生さんも、
おそらく、
読者となる若い人たちも、
気づかなかったりするんやろな…。
と思ったりして、
臭い科白も込みこみで、
甘ったるい感が残ったのでした。
でもそれが、
今の人たちにとっての、
魅力、なんでしょね。
イマドキの、
「青春」時代に、
乗り越える壁は、
「大人」ではないのよ。ね。
それはそれで生きづらかろう。。。
ということを考えさせてくれたので、
やはり、
この作家さんの物語はヒトクセあると思います。
次作も楽しみ。
実家は出雲 ― 2013年08月28日
そんなわけで(どんなわけかは省略)、
帰国後もほとんど東京にいないカメ係。
先日は、出雲の実家へ。
お土産はこの頃話題のこれ。(写真↓)
帰国後もほとんど東京にいないカメ係。
先日は、出雲の実家へ。
お土産はこの頃話題のこれ。(写真↓)

「島根か鳥取か分からないけどそこら辺に行きました。」
というオチャメ(?)なネーミングのインパクトだけの、
なんということはないふつうに美味しいお菓子です。
が、
実家のある出雲は島根です。(念のため)
と、
出雲、出雲と言うておりますが、
2011年10月に出雲市との市町村合併をして出雲市となったので今は「出雲」でいいんですが、
それ以前は「斐川町」でした。
島根県簸川郡斐川町。
が、
島根県出雲市斐川町。
になったのです。
なので以前は、
「実家は出雲です。
正しくは出雲市の隣の斐川町なんですけどね。
出雲地方っていうか。まあ、出雲。です」
といった説明をもごもごとしていました。
それが今は、
「実家は出雲です」
ですむのですごい楽!
と、
言うたびに思っています。
その出雲のことで面白かった本を読了しました。
『出雲と大和 ─古代国家の原像をたずねて』
村井康彦 岩波新書 2013/1 (写真↓)

「古事記」「日本書紀」「出雲国風土記」はもちろんのこと、
「魏志倭人伝」なども読み解いて、
古代出雲の姿を語りみせてくれています。
それはこれまでに読んだ古代出雲を描いたどの本よりも軽快で闊達で、
それはちょっと言い過ぎちゃう?
そこまで言っていいん?
と思うようなところもあったけれど、
出雲で生まれ育った私にしてみれば、
それはそれで楽しい驚きであり、
そうだとしたら面白いなぁ!と思えることでした。
そもそも私は、
「邪馬台国」には興味がないのです。
そんな私の一番の収穫は、
岐比佐都美(きひさつみ)。
出雲国造の祖。
の記述でした。
それは仏経山の山頂に磐座があったという話で、
「仏経山(ぶっきょうざん)」と言いながら、
「神名火山(かんなびやま)」とも呼んでいる山の、
古代出雲における存在の大きさを教えてくれるものでした。
仏経山=神名火山。
は、私にとっても大きな存在の山なのです。
その山を見て育った私の実家へ、
カメ係が行くというので、
写真を撮って送ってとお願いしました。
それがこの写真(↓)

山陰本線の直江駅のホームから見える仏経山。
は、記憶している姿より小さく見えます。
も少し近づいて撮ってくれたのがこちら(↓)

この山を登ると、
出雲大社があるあたりまで一望できます。
私は中学生か高校生の頃、
父と二人で登った記憶があるけど、曖昧。
この山の上に見えた月や星座を、
ただぼんやりと眺めていた私がいました。
懐かしい。
ただ、懐かしいだけの記憶です。
が、
この山の頂に磐座があったと知り、
ものすごく納得しています。
そしてなぜだか安堵もしています。
不思議な感覚です。
が、
この山の頂に磐座があったと知り、
ものすごく納得しています。
そしてなぜだか安堵もしています。
不思議な感覚です。
なんだと思います? ― 2013年08月30日
これ、なんだと思います?(↓)

横からだとこんな。(↓)

なんでしょ。
(剣山使っています)
ひさびさ帰宅したカメ係も???でギブアップ。
答えは、
アボカド。
の、種。
に、根が出て、芽が出たやつ。
アボガド。
じゃないのね。
アボカド。
水に浸していたら芽がでるかも。って聞いて、
浸すことおよそ1ヶ月。
先日、もう捨ててしまおうと思ってよく見たら、
根がにょろっと出ているのを発見!
で、捨てずにそのまま浸して数日。
気づいたら芽がにょっきり~!になっていました。。
この芽、
最初はこれも根?と思うほど白くてにょろな姿でしたが、
どんどん伸びて緑っぽくなって、
今では、先はやがて葉になる?
と思われるような形状をみせてくれています。
これからは、
水ではなくて土に植えた方がいいのでは?
ということで、鉢植えに住み替えしました。
うまく育つかしら。
ちょっと楽しみです。
そして、同じように種を植えたら芽が出たヤマボウシ。
今朝の様子はこちら(↓)

うまいこと育っています。
カメの岩丈氏も。
ヤマボウシ、大きな鉢に植え替えたほうがいいのかな。
という思いもありつつ、
こういうときって、ほんと、庭のある生活っていいなぁと思うばかり。
そんなことを話したら、
「うちの庭に植えてもいいよ」と言ってくれる人がいて。
思案中。です。
高校生のための学級文庫絵本 26 ― 2013年08月31日

『ピアノ調律師』 M・B・ゴフスタイン/作・絵
末盛千枝子/訳 現代企画室 2012/11 (写真)
ピアノ調律師、ルーベン・ワインストック は、
孫娘、デビー・ワインストック に、
ピアニストになってもらいたいと思っています。
でも、
デビー・ワインストック は、
ピアノ調律師になると決めています。
「おじいちゃんみたいな世界一の調律師」に。
調律師がどんな仕事か知らなくても、
デビーの気持ちの強さが、
その仕事のすばらしさを教えてくれます。
好きなことを仕事にすること。
の、すばらしさも。
さて、おじいちゃんはどうするのでしょう。
デビーも、
あなたも、
将来の夢がかないますように。
末盛千枝子/訳 現代企画室 2012/11 (写真)
ピアノ調律師、ルーベン・ワインストック は、
孫娘、デビー・ワインストック に、
ピアニストになってもらいたいと思っています。
でも、
デビー・ワインストック は、
ピアノ調律師になると決めています。
「おじいちゃんみたいな世界一の調律師」に。
調律師がどんな仕事か知らなくても、
デビーの気持ちの強さが、
その仕事のすばらしさを教えてくれます。
好きなことを仕事にすること。
の、すばらしさも。
さて、おじいちゃんはどうするのでしょう。
デビーも、
あなたも、
将来の夢がかないますように。
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