それでも人生は続くのやねぇ。できれば科学的に生きたいものです。2014年05月11日

そんなわけで(どんなわけかは省略)、
読む本の優先順位が変わったきっかけで、
本を読む時間そのものが、
ぐっと減っている今日この頃です。


それでなくても、
家の外では本が読めないので、
ちょっとした時間を電車に乗っていても、
ぼや~んとしているだけです。

これまでは、
それはそれであきらめていたのですが、
さすがに、
ここまで本を読む時間を持たずにいると、
ああ、これはちょっともったいないかも…、
と思うようになりました。


それで、
またちょっと本を持ち歩くようになっています。


で、やっぱり電車の中では読めないけれど、
家の中・外関係なく、
ちょこちょこ読みつなぐようにして、
一冊読了しました。


 『科学以前の心』 中谷宇吉郎
              福岡伸一/編 河出文庫 2013/4 (写真)


“雪の研究に一生を捧げた、日本を代表する科学者にして名随筆家・中谷宇吉郎のベスト&レア・エッセイを生物学者・福岡伸一氏が集成。”

と紹介文にあり、
中谷宇吉郎と聞けばなんでだかワクワクしてしまう私ですから、
発売直後には買っていたのですが、
買えば自動的(?)に積読本に埋もれてしまうので、
ほぼほぼ一年かかっての読了です。



文庫オリジナルに編まれた25篇のエッセイは、
どれも興味深く読むことができました。


「科学的である」。

ということはどういうことか。

日常の生活の中で、
日本語の言葉のやりとりの中で、
そのことを意識し考えることの大切さ面白さを、
たっぷりと読むことができました。




まぁなんというか、
日々の暮らしはいつも穏やかなわけではありません。

いくつになっても、
生きることの厳しさを繰り返し繰り返し、
状況は変わりつつも経験していくわけですねぇ。

が、
その隙間狭間に、
本を読むとしゃっきりしますわ。



これから私、
どんな本を読んでいくんでっしゃろ…。

我ながら楽しみ楽しみ。

タナベ ではありません2014年05月21日

本日、
“11:59 小満(太陽黄経60°)”
と、
「天文手帳」にあります。

季節は着々と春から夏へ、
おっとその前に、
梅雨へとむかっています。


春は、
終わりました…。



今年は、
春の嵐が吹き荒れました。




ここ、東京へ越してきたのも十数年前の春。

当時もすっごい嵐の日々で。

そして同じように小満の頃に小休止的に落ち着いて…。



ということを思い出すことの一つに、
「タナベ」
があります。


タナベ。

田辺?田部?田鍋?田邊?田名部?棚部?

漢字変換にまかせると、いろいろ出てくるのね。


「タナベさんですか?」 とか、
「タナベさんのお宅ですか?」 とか、
「タナベさまのお宅でしょうか?」 等等。

越してきて数年ぐらいは、
そんな間違い電話がよくかかってきていました。

ゴルフとか不動産とか。
そんな会社から。


越したときに変えた電話番号が、
それまでは、
その、
タナベさんちの番号だったと思い、
それにしても、
電話をかけてくる相手の様子から、
タナベさんてお金持ちだったのかしら~、
などど思ったものでした。



そしてその後はぱたりと止んだ電話が、
今年になってから、
また、
ぽつぽつとかかってくるようになりました。


「恐れ入ります。
 こちら、なんとかゴルフなんとかでございます。
 タナベさまのお宅でしょうか?」

「いいえ。」

というやりとり。

を、昨日もやり、
次には、
こちらから先に、
「タナベではございませんけど?」などと言ってみよう!
と思ったのでした。


おそらく、
ゴルフの会員権のセールス電話と思っているのですが、
ということは、
景気が上向きになっているってことかしらね。


などと思ったりもしながら、
越してきて十数年たった今も、
そんな間違い電話がかかってくることに、
ちょっとぼんやり。




十数年。

は、我が家にとっては長い長い時間だけれど、
これが、
一家の、
あるいは、
一族の時間とすれば、
なぁんていうことのない短さなんでしょうね。


明治の頃の記録にもある、
出雲の実家のことを考えると、
我が家の、
この東京での十数年なんて…。


とはいえ、
十年もたてば、
子供は大きく育つわけで、
そう思うと、
あまりにも長い十数年であるようにも思えるのです。






写真は、
近所の酒屋さんでみつけた「深大寺ビール」。

東京にこんな地ビールがあるとは知りませんでした。


今夜、
カメ係とこのビールで乾杯する予定だったけれど、
予定変更。

あちらはなにやら忙しくしていて、
それはそれでありがたい今日この頃。



「深大寺ビール」はもうしばらく冷やしておくのでした。

泣くのにちょうどいい場所を探している。2014年05月30日

著者名と書名に惹かれて手にとりました。

 『犬に堕ちても』 ヘレ・ヘレ
           渡辺洋美/訳 筑摩書房 2014/3 (写真)


ヘレ・ヘレ

1965年・デンマークロラン島生まれ。

初の邦訳書がこの『犬に堕ちても』。


その書名が語るところは、
「訳者あとがき」を読んで知るのですが、
知る前、
物語に耽っているころ、
主人公が、
二匹の犬の世話をする流れになるあたり、
この犬との関係に意味があるのでは?
などとさぐりさぐりしたものでした。


物語は、
“泣くのにちょうどいい場所を探している。”
と語る主人公の独白で始まり、
それが、
まるで私の状況のようにも思われ、
いきなりワシヅカミ。



その、泣く場所を探している主人公が辿り着いた先での物語。


いや。

辿り着いた。
というのか、
途中下車。
になるのか。

物語は、
その結末を語らずにふいに終わってしまい、
一日に一本だけ走るバスが停留所に止まるたび、
どうするのだろう、
どうしたのだろう、
という不安が余韻となって、
今も、ちょっと不安です。


それは、
私だったらどうなのかな…。

という思いがあるからかもしれません。



主人公は、
名前を尋ねられることもなく、
そこで見つけてくれた人が呼んだ名前を受け取り、
その場や人やコミュニティーの中に佇み、
それらを観察し、独白を続けます。


その合間に語られる、
泣く場所を探すに至った経緯。


それは、
スーツケースを持ちバスに乗った主人公の、
心の整理作業のようにも思え、
そうやって、
行き詰った場所(人間関係)との距離を取り、
一時避難し、
自分のペースで整理し、結論を出す。
ことの必要を、
私に語って聞かせてくれているようでもありました。


いや。

主人公に、
そんなつもりはこれっぽちもないのです。


読み手の私が、
勝手にそのように読んだのです。



私もバスに乗ろうか。
電車。新幹線。飛行機。
あるいは、船?

などと思ったりしながらも、
この家に引きこもって読書することが、
私の一時避難であると、
ぐるぐると、
そのたびに思い至るのでした。


いったん、ただいま!