ひどい出来事… ― 2009年04月14日

このところ、物語(小説)を読まなかった反動で、前回の図書館で借りてきた手当たりしだいの絵本数冊を含め、物語本ばかり読んでいます。
なかでも楽しみだったのが
『ブラッディ・カンザス』 サラ・パレッキー 山本やよい/訳
早川書房 2009 (写真)
待ちに待ったサラ・パレッキーの新刊です。
『サマータイム・ブルース』から始まる、女性の私立探偵V・I・ウォーショースキーを主人公にしたハードボイルド小説シリーズを読み続けて20数年!
この新刊はそれとは別の、パレッキー自身が子ども時代を過ごしたカンザスを舞台にした長編小説でしたが、V・I・ウォーショースキーの少女バージョン?と思わせるような展開もあり、楽しめました。
とはいえ、内容はかなり…。
アメリカの人種差別や偏見を描いた作品には数え切れないほど出会ってきたけど、こちらは宗教、というか、信教の対立が引き起こす反感や憎悪に翻弄される隣人たちの物語。
携帯電話やインターネットの中で生まれるご近所のゴシップ。
イラク戦争と反戦運動。
女性差別、親子の断絶。など、古くもあり新しくもある問題の種が、カンザスの農場にばら撒かれていく状況が、今の、現代のアメリカの姿であるのかと思うと、楽しんでばかりはいられませんでした。
登場者は誰もが自分の信じる道を、かたくなに、頑固さと寛容のなさで突き進んでいき、故意であったり、なかったりしながら、身近な人たちを傷つけていきます。
まったく、ひどい話です。
どの登場者にも寄り添いきれず。
それがパレッキー自身の視線なのかもしれませんが。
読了後にV・I・ウォーショースキーが懐かしくなり、『サマータイム・ブルース』からシリーズ全部を読み返したい!と思いました。が!そんな時間の余裕は見当たりません…。
V・I・ウォーショースキーの近況報告が訳者あとがきにあり、いずれ再会できそうなので、それを待つことにします。
次読むつもりの、
『少女七竃と七人の可愛そうな大人』 桜庭一樹
角川書店 平成18年
はすぐに読了できそうです。
なにしろ私の桜庭一樹初読書は『赤朽葉家の伝説』(東京創元社 2006)でしたから…。これもかなりなお話!
なかでも楽しみだったのが
『ブラッディ・カンザス』 サラ・パレッキー 山本やよい/訳
早川書房 2009 (写真)
待ちに待ったサラ・パレッキーの新刊です。
『サマータイム・ブルース』から始まる、女性の私立探偵V・I・ウォーショースキーを主人公にしたハードボイルド小説シリーズを読み続けて20数年!
この新刊はそれとは別の、パレッキー自身が子ども時代を過ごしたカンザスを舞台にした長編小説でしたが、V・I・ウォーショースキーの少女バージョン?と思わせるような展開もあり、楽しめました。
とはいえ、内容はかなり…。
アメリカの人種差別や偏見を描いた作品には数え切れないほど出会ってきたけど、こちらは宗教、というか、信教の対立が引き起こす反感や憎悪に翻弄される隣人たちの物語。
携帯電話やインターネットの中で生まれるご近所のゴシップ。
イラク戦争と反戦運動。
女性差別、親子の断絶。など、古くもあり新しくもある問題の種が、カンザスの農場にばら撒かれていく状況が、今の、現代のアメリカの姿であるのかと思うと、楽しんでばかりはいられませんでした。
登場者は誰もが自分の信じる道を、かたくなに、頑固さと寛容のなさで突き進んでいき、故意であったり、なかったりしながら、身近な人たちを傷つけていきます。
まったく、ひどい話です。
どの登場者にも寄り添いきれず。
それがパレッキー自身の視線なのかもしれませんが。
読了後にV・I・ウォーショースキーが懐かしくなり、『サマータイム・ブルース』からシリーズ全部を読み返したい!と思いました。が!そんな時間の余裕は見当たりません…。
V・I・ウォーショースキーの近況報告が訳者あとがきにあり、いずれ再会できそうなので、それを待つことにします。
次読むつもりの、
『少女七竃と七人の可愛そうな大人』 桜庭一樹
角川書店 平成18年
はすぐに読了できそうです。
なにしろ私の桜庭一樹初読書は『赤朽葉家の伝説』(東京創元社 2006)でしたから…。これもかなりなお話!
幸せ探し漂流 ― 2009年04月15日

ずっとお世話になっていた花屋さんが、昨年末で閉店し、以降、花屋さん漂流が続いています。
春✿、というよりは、初夏☀のような陽気に、ブライダルベールの花がもう咲き出し、まだ4月だよねぇ?と独り言しながらの水遣りの朝、ふと、そうだ、色とりどりの花を植えようと思いつきました。
どこへ買いにいこう?と思ったとき、あの、閉店してしまった花屋さんを思い出します。が、もうないのでしょうがありません。
あそことあそことあそこ…とあそこにも。
駅前から商店街にかけての花屋さんを数軒思い浮かべながら、最初に行った花屋さんの店先で、思わぬものを見つけました。
「四つ葉のクローバー」の鉢植え。です。
?と思って、凝視すると、鉢ぎっしりのクローバーはどれも四つ葉!
うわっ、気味悪っ! と瞬間思ってしまいました。
ケースにあるのは2鉢。おそらくもう何鉢も売れているんでしょう。
“幸福の四つ葉のクローバーで幸せに”というポップも揺れています。
これだけ四つ葉があれば、どれだけ幸せになれるんやろ~と思わなくもないのですが。
いや、そうではなくて。
四つ葉のクローバー(幸せ)はみつかるかしら~と思いながら、目を凝らして、きゃあ♡あった♪となって、そこに喜びや幸せを実感するものなのでは?と思うのです。が。
どうなの?
店先で、四つ葉の鉢を見下ろしながら、しばし無言の自問自答。
とはいえ、幸せ探し中の私としては、ココロ揺れたりしなくもなく。
が、…今日の目的は葉じゃなくて花!と思い出し、回れ右!
あんな四つ葉のクローバーの鉢植えを売る花屋さんでは買わへんし!と、なぜか敵視。
そして花屋さん漂流がまた始まり、3件目でやっと気に入った花の苗をみつけました。
会計すると、今度は「母の日」フェアのセールストークが始まりました。
早期ご予約で割引致します!送料全国一律です♪
いやいや、贈られたいのは私の方ですわぁ!と思ってまた敵視!
でも嫌な顔できず「検討します…」と言うのがやっとで、申込用紙付きちらしとをもらってしまいました。
ああ、やだやだ。
私のココロの狭さとやさぐれ感がそうさせているんでしょうね。
そうして花屋さん漂流はまだまだ続くのでしょう~。
春✿、というよりは、初夏☀のような陽気に、ブライダルベールの花がもう咲き出し、まだ4月だよねぇ?と独り言しながらの水遣りの朝、ふと、そうだ、色とりどりの花を植えようと思いつきました。
どこへ買いにいこう?と思ったとき、あの、閉店してしまった花屋さんを思い出します。が、もうないのでしょうがありません。
あそことあそことあそこ…とあそこにも。
駅前から商店街にかけての花屋さんを数軒思い浮かべながら、最初に行った花屋さんの店先で、思わぬものを見つけました。
「四つ葉のクローバー」の鉢植え。です。
?と思って、凝視すると、鉢ぎっしりのクローバーはどれも四つ葉!
うわっ、気味悪っ! と瞬間思ってしまいました。
ケースにあるのは2鉢。おそらくもう何鉢も売れているんでしょう。
“幸福の四つ葉のクローバーで幸せに”というポップも揺れています。
これだけ四つ葉があれば、どれだけ幸せになれるんやろ~と思わなくもないのですが。
いや、そうではなくて。
四つ葉のクローバー(幸せ)はみつかるかしら~と思いながら、目を凝らして、きゃあ♡あった♪となって、そこに喜びや幸せを実感するものなのでは?と思うのです。が。
どうなの?
店先で、四つ葉の鉢を見下ろしながら、しばし無言の自問自答。
とはいえ、幸せ探し中の私としては、ココロ揺れたりしなくもなく。
が、…今日の目的は葉じゃなくて花!と思い出し、回れ右!
あんな四つ葉のクローバーの鉢植えを売る花屋さんでは買わへんし!と、なぜか敵視。
そして花屋さん漂流がまた始まり、3件目でやっと気に入った花の苗をみつけました。
会計すると、今度は「母の日」フェアのセールストークが始まりました。
早期ご予約で割引致します!送料全国一律です♪
いやいや、贈られたいのは私の方ですわぁ!と思ってまた敵視!
でも嫌な顔できず「検討します…」と言うのがやっとで、申込用紙付きちらしとをもらってしまいました。
ああ、やだやだ。
私のココロの狭さとやさぐれ感がそうさせているんでしょうね。
そうして花屋さん漂流はまだまだ続くのでしょう~。
妄想宿消失…そして迷走 ― 2009年04月18日

“チョムスキー”
という“言葉”を初めて目にしたとき、
「何?」と思いました。
「誰?」ではなく「何?」。
つまり、人の名前だとは思わなかったです。瞬間ですけど。
その“言葉”が、書評記事にあり、
『チョムスキー、アメリカを叱る』(NTT出版, 2008年)
の著者(つまり人)であることがわかりました。直後に。
そんな出会いでした。
アメリカを叱る?叱ったんだ。この人。チョムスキーさん…。
と、興味はわいたのですが、なんだか難しそうなのでスルーしました。
けれども、その後もよく目にとまりました。
ちょくちょくチョムスキー。
ちょこちょこチョムスキー。
と、好き勝手に呼びながらもスルー。
私の手に負えそうにありません。
ところが先日の図書館で、高岡健さんの本を探して「304タ」の棚に目を集中させていたら、厚い本の隙間に控えめに入り込んだような新書があり、その背表紙の「チョムスキー」という文字が飛び込んできました。
分類は「304チ」。チョムスキーの「チ」。高岡の「タ」の次でした。
『チョムスキー、民意と人権を語る』 ノーム・チョムスキー
聞き手 岡崎玲子 論文翻訳 鈴木主税 集英社新書 2005(写真)
表紙のタイトルには「レイコ突撃インタビュー」という言葉が並んでいます。
その岡崎玲子さんは、
『9・11ジェネレーション
米国留学中の女子高生が学んだ「戦争」』(集英社新書 2004)
の著者であることは知っていました。
私は未読ですが、当時、書評などでよくみかけていましたから。
あの女子高生がチョムスキーと…。
と、今ではすっかり大人、といっても私よりはずいぶん若い女性の岡崎さん(1985年生まれ)が、いったい何を聞き何を話しているんだろうかと、思わず手にとってパラパラとめくってしまいました。
あっ、読めるかも…!
と思ったのが間違いだったのかもしれませんが、初チョムスキーとしてはいいのでは?と、思わずチャレンジしてみることにしました。
本の裏表紙に載っている著者紹介記事には、
「Noam Chomsky (ノーム・チョムスキー)
1928年生まれ。マサチューセッツ工科大学教授。生成文法理論で言語学に不滅の業績を残す。鋭い政治評論でも世界的に知られる。」
とあります。
生成文法理論? そこからもうわかりません。
が。もちろん、インタビューによるチョムスキーの発言も、同書に収められている「アメリカによる力の支配」という論文も、世界情勢もろもろの基本知識のない私には、かなり難しい内容だったのですが。
が!しかし!
えっ?アメリカってそうなの?と思うような発言を読み取ることがあり、普段、見聞きしている、アメリカ観(と大雑把に言ってしまいますが)とはえらく違うアメリカの政治や国民の姿を知る(とまで言えるほど理解はできてないと思いますが)ことができました。
アメリカを叱る人だもの、ね…、チョムスキーさん。
それにしても、知らないことばかりです。
よくわからないけど、その裏には何かがある。ということがわかりはじめてきました。何があるのか、知りたいと思いはじめています。
遅まきながら…。
私の人生と同じです。 遅まきながら。
というわけで、妄想宿は強制撤去しました。
無理やりなので、無理はありますが。
現に、今、すでに、迷走し出しています。
が、今は撤去!
サラバ! じゃ!
という“言葉”を初めて目にしたとき、
「何?」と思いました。
「誰?」ではなく「何?」。
つまり、人の名前だとは思わなかったです。瞬間ですけど。
その“言葉”が、書評記事にあり、
『チョムスキー、アメリカを叱る』(NTT出版, 2008年)
の著者(つまり人)であることがわかりました。直後に。
そんな出会いでした。
アメリカを叱る?叱ったんだ。この人。チョムスキーさん…。
と、興味はわいたのですが、なんだか難しそうなのでスルーしました。
けれども、その後もよく目にとまりました。
ちょくちょくチョムスキー。
ちょこちょこチョムスキー。
と、好き勝手に呼びながらもスルー。
私の手に負えそうにありません。
ところが先日の図書館で、高岡健さんの本を探して「304タ」の棚に目を集中させていたら、厚い本の隙間に控えめに入り込んだような新書があり、その背表紙の「チョムスキー」という文字が飛び込んできました。
分類は「304チ」。チョムスキーの「チ」。高岡の「タ」の次でした。
『チョムスキー、民意と人権を語る』 ノーム・チョムスキー
聞き手 岡崎玲子 論文翻訳 鈴木主税 集英社新書 2005(写真)
表紙のタイトルには「レイコ突撃インタビュー」という言葉が並んでいます。
その岡崎玲子さんは、
『9・11ジェネレーション
米国留学中の女子高生が学んだ「戦争」』(集英社新書 2004)
の著者であることは知っていました。
私は未読ですが、当時、書評などでよくみかけていましたから。
あの女子高生がチョムスキーと…。
と、今ではすっかり大人、といっても私よりはずいぶん若い女性の岡崎さん(1985年生まれ)が、いったい何を聞き何を話しているんだろうかと、思わず手にとってパラパラとめくってしまいました。
あっ、読めるかも…!
と思ったのが間違いだったのかもしれませんが、初チョムスキーとしてはいいのでは?と、思わずチャレンジしてみることにしました。
本の裏表紙に載っている著者紹介記事には、
「Noam Chomsky (ノーム・チョムスキー)
1928年生まれ。マサチューセッツ工科大学教授。生成文法理論で言語学に不滅の業績を残す。鋭い政治評論でも世界的に知られる。」
とあります。
生成文法理論? そこからもうわかりません。
が。もちろん、インタビューによるチョムスキーの発言も、同書に収められている「アメリカによる力の支配」という論文も、世界情勢もろもろの基本知識のない私には、かなり難しい内容だったのですが。
が!しかし!
えっ?アメリカってそうなの?と思うような発言を読み取ることがあり、普段、見聞きしている、アメリカ観(と大雑把に言ってしまいますが)とはえらく違うアメリカの政治や国民の姿を知る(とまで言えるほど理解はできてないと思いますが)ことができました。
アメリカを叱る人だもの、ね…、チョムスキーさん。
それにしても、知らないことばかりです。
よくわからないけど、その裏には何かがある。ということがわかりはじめてきました。何があるのか、知りたいと思いはじめています。
遅まきながら…。
私の人生と同じです。 遅まきながら。
というわけで、妄想宿は強制撤去しました。
無理やりなので、無理はありますが。
現に、今、すでに、迷走し出しています。
が、今は撤去!
サラバ! じゃ!
出奔!ノススメ… ― 2009年04月26日
酩酊…じゃなくて、迷走、してきました。
本日、小休止してます。
昨日、お会いした人は覚えているけど、
その前となると、ちょっともうごちゃごちゃしますね。
出かけた先とか、会った人の順番とか?
それぐらいの迷走・・・。
あっ!・・・思い出しました。
りとるでは、5月の読書会を先取りして、面白い話を聞きました。
ファンタジーとリアルのリンク。
歴史認識・歴史観を絡めて、ファンタジーが物語るリアルについて。
それからりとるでは、見逃した映画と気になる映画について、どちらも観たという人からお話を聞きました。
見逃した映画を見損なって残念!気になる映画は絶対観よう!と決意。…でも、連休の賑わいが落ち着いた頃に…。
と、思うから見逃すんですよね。 (V)o¥o(V)
5月の予定が、ごちゃごちゃと立て込んできています。
いくつかのギャラリーへは、今年初めて、やっと出かけて行けました。
作品を見る前にしばし近況報告。
その日最後のギャラリーは銀座のKajima。
加島さんにも近況報告。のはずが、いつしか男と女の違いについて語り出し、やがて親と子の関係の話となり、なんの脈絡でか「母親は出奔するぐらいがいいんだよ」と言われたその「出奔」という言葉に過敏に反応。
「出奔」 …逐電・失踪・行方知らず
「しゅっっっぽん(出奔)!かぁ。 いい、わ、ぁ」
と、遠くを見てしまう私。
すかさず隣りから、
「パスポート、作らねば!」のツッコミ。
「そうね~。パスポート、よねぇ~」
外国知らず、世間知らず、な私。
妄想宿、復活か? と思われましたが…。いや、まだ。
加島さんには、
「龍昌寺 正法眼蔵 講義の三日間」
の坐禅会の日程表をいただきました。
6時起床。坐禅。朝課・掃除。朝食。講義。自由行動・作務・山菜取り又は温泉。
最終日夕刻より龍昌寺にて宴会。
お寺で宴会、いいかも…。
でもまだ、そこまで届かない未熟な私。
その間、私はりとるにいます。
それから、どなたに会いましたか…。
お会いできない人もいました。
残念。
また、いつか。
本日、小休止してます。
昨日、お会いした人は覚えているけど、
その前となると、ちょっともうごちゃごちゃしますね。
出かけた先とか、会った人の順番とか?
それぐらいの迷走・・・。
あっ!・・・思い出しました。
りとるでは、5月の読書会を先取りして、面白い話を聞きました。
ファンタジーとリアルのリンク。
歴史認識・歴史観を絡めて、ファンタジーが物語るリアルについて。
それからりとるでは、見逃した映画と気になる映画について、どちらも観たという人からお話を聞きました。
見逃した映画を見損なって残念!気になる映画は絶対観よう!と決意。…でも、連休の賑わいが落ち着いた頃に…。
と、思うから見逃すんですよね。 (V)o¥o(V)
5月の予定が、ごちゃごちゃと立て込んできています。
いくつかのギャラリーへは、今年初めて、やっと出かけて行けました。
作品を見る前にしばし近況報告。
その日最後のギャラリーは銀座のKajima。
加島さんにも近況報告。のはずが、いつしか男と女の違いについて語り出し、やがて親と子の関係の話となり、なんの脈絡でか「母親は出奔するぐらいがいいんだよ」と言われたその「出奔」という言葉に過敏に反応。
「出奔」 …逐電・失踪・行方知らず
「しゅっっっぽん(出奔)!かぁ。 いい、わ、ぁ」
と、遠くを見てしまう私。
すかさず隣りから、
「パスポート、作らねば!」のツッコミ。
「そうね~。パスポート、よねぇ~」
外国知らず、世間知らず、な私。
妄想宿、復活か? と思われましたが…。いや、まだ。
加島さんには、
「龍昌寺 正法眼蔵 講義の三日間」
の坐禅会の日程表をいただきました。
6時起床。坐禅。朝課・掃除。朝食。講義。自由行動・作務・山菜取り又は温泉。
最終日夕刻より龍昌寺にて宴会。
お寺で宴会、いいかも…。
でもまだ、そこまで届かない未熟な私。
その間、私はりとるにいます。
それから、どなたに会いましたか…。
お会いできない人もいました。
残念。
また、いつか。
つゆのよは つゆのよながら さりながら ― 2009年04月28日

小林一茶の句
つゆのよは つゆのよながら さりながら
の最後の一節をタイトルにした小説。
『さりながら』 フィリップ・フォレスト
澤田直/訳 白水社 2008
タイトルに惹かれて読んでしまいました。
この、迷走のさなかに。
1962年、パリ生まれの著者は、大江健三郎をはじめとした日本文学の批評家でもあるそうです。
幼い娘の死をきっかけに小説を書き始めたといい、この本も、幼い娘を失くし、パリ、京都、東京、神戸を旅する〈私〉が、タイトルに用いた句の作者・小林一茶と、夏目漱石、山端庸介の三人の日本人の「生」を物語ります。
う~ん。
男のセンチメンタル私小説。
といったら、怒られそうです。が、そんな印象。
でも、一茶や漱石や山端庸介さん(初めて知りました。写真家です。その作品は見ているはずです。原爆投下翌日の長崎を記録した写真)の生涯を見つめる視線は新鮮でした。
そこには、幼い子の「死」を抱えた人生への共感があるのだと思います。
ただ、「子を亡くし傷ついている僕」的な感傷を、過剰に感じてしまって、そこが、男と女の違いかなぁ…と、ズレたことを考えてしまいました。
露のように儚い世。そうではあるけれど。
露の世ながら、さりながら。
さりながら、忘れえぬものごと。
さりながら、忘れえぬひとびと。
つゆのよは つゆのよながら さりながら
の最後の一節をタイトルにした小説。
『さりながら』 フィリップ・フォレスト
澤田直/訳 白水社 2008
タイトルに惹かれて読んでしまいました。
この、迷走のさなかに。
1962年、パリ生まれの著者は、大江健三郎をはじめとした日本文学の批評家でもあるそうです。
幼い娘の死をきっかけに小説を書き始めたといい、この本も、幼い娘を失くし、パリ、京都、東京、神戸を旅する〈私〉が、タイトルに用いた句の作者・小林一茶と、夏目漱石、山端庸介の三人の日本人の「生」を物語ります。
う~ん。
男のセンチメンタル私小説。
といったら、怒られそうです。が、そんな印象。
でも、一茶や漱石や山端庸介さん(初めて知りました。写真家です。その作品は見ているはずです。原爆投下翌日の長崎を記録した写真)の生涯を見つめる視線は新鮮でした。
そこには、幼い子の「死」を抱えた人生への共感があるのだと思います。
ただ、「子を亡くし傷ついている僕」的な感傷を、過剰に感じてしまって、そこが、男と女の違いかなぁ…と、ズレたことを考えてしまいました。
露のように儚い世。そうではあるけれど。
露の世ながら、さりながら。
さりながら、忘れえぬものごと。
さりながら、忘れえぬひとびと。
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