ぶっ飛び読書 ― 2010年05月27日

ちょっと前りとるで、
プレゼント包装を頼まれ、
アセアセしながら包装紙と格闘中、
レジ横の新刊本棚にあった本を指差して、
「この本ってどんな本です?」とお尋ねのお客さま。
ああ~っ。
申し訳ないです。
まだ読んでないので(私も今日初めて見ました)。
…と言いつつ包装紙を手放し、本を手にとり、
ぱらぱらと中を見て、挿絵から察するに、
ファンタジー。
いや、もしかしたら、SF?
作者も翻訳者も、申し訳ないことに出版社にも心当たりなく。
それにしてもインパクトのある表紙です。
本をお客さまに渡し、私は包装紙格闘に戻り、
お客さまはしばし本を眺めていらっしゃいましたが、
包装終了と同時に本は棚に戻りました。
その後その本のことは気になったものの、
こんな調子だったので読む気にならず。
ところが数日前、
リクエストしていた「うつ」と「天文」の本を借りに図書館へ行ったとき、
児童書コーナーの新刊棚で再会しました。
『スルタンの象と少女』
ジャン=リュック・クールクー : 作
カンタン・フォコンプレ : 絵
前之園 望 : 訳 文遊社 2010/05 (写真)
作者のジャン=リュック・クールクー 氏は、
“幼いころから、ジュール・ヴェルヌの空想科学小説や
ジョナサン・スウィフトの『ガリバー旅行記』を耽読していました”
と、著者紹介にあります。
確かにこの物語には空想科学的な要素がいっぱいです。
「空想」の域を超えて「奇想天外」。
そのぶっ飛んだ発想と物語を面白く感じ、
時には哲学的な示唆までも受けとって、
一気に読了した私を、私は喜びました。
この物語、好き嫌いあるかもしれませんが、私は好きです。
ヴェルヌ、好きでしたし。
でも、ヴェルヌより大雑把な感じがたまらなくいいと思いました。
そしてこの物語には「仕掛け」があり、
作者の本業のパフォーマンスへとつながっているようです。
いつか私の目の前に、
巨大な象と巨人の少女が現れ、
象に乗り込んでやってきたスルタン一行が、
自由に遊びまわるのを目撃するかもしれません。
なんて豊かですてきなイマジネーションの物語世界なんでしょう。
こんな世界で、誰もが自由に遊べたらいいのに。
プレゼント包装を頼まれ、
アセアセしながら包装紙と格闘中、
レジ横の新刊本棚にあった本を指差して、
「この本ってどんな本です?」とお尋ねのお客さま。
ああ~っ。
申し訳ないです。
まだ読んでないので(私も今日初めて見ました)。
…と言いつつ包装紙を手放し、本を手にとり、
ぱらぱらと中を見て、挿絵から察するに、
ファンタジー。
いや、もしかしたら、SF?
作者も翻訳者も、申し訳ないことに出版社にも心当たりなく。
それにしてもインパクトのある表紙です。
本をお客さまに渡し、私は包装紙格闘に戻り、
お客さまはしばし本を眺めていらっしゃいましたが、
包装終了と同時に本は棚に戻りました。
その後その本のことは気になったものの、
こんな調子だったので読む気にならず。
ところが数日前、
リクエストしていた「うつ」と「天文」の本を借りに図書館へ行ったとき、
児童書コーナーの新刊棚で再会しました。
『スルタンの象と少女』
ジャン=リュック・クールクー : 作
カンタン・フォコンプレ : 絵
前之園 望 : 訳 文遊社 2010/05 (写真)
作者のジャン=リュック・クールクー 氏は、
“幼いころから、ジュール・ヴェルヌの空想科学小説や
ジョナサン・スウィフトの『ガリバー旅行記』を耽読していました”
と、著者紹介にあります。
確かにこの物語には空想科学的な要素がいっぱいです。
「空想」の域を超えて「奇想天外」。
そのぶっ飛んだ発想と物語を面白く感じ、
時には哲学的な示唆までも受けとって、
一気に読了した私を、私は喜びました。
この物語、好き嫌いあるかもしれませんが、私は好きです。
ヴェルヌ、好きでしたし。
でも、ヴェルヌより大雑把な感じがたまらなくいいと思いました。
そしてこの物語には「仕掛け」があり、
作者の本業のパフォーマンスへとつながっているようです。
いつか私の目の前に、
巨大な象と巨人の少女が現れ、
象に乗り込んでやってきたスルタン一行が、
自由に遊びまわるのを目撃するかもしれません。
なんて豊かですてきなイマジネーションの物語世界なんでしょう。
こんな世界で、誰もが自由に遊べたらいいのに。
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