雀、飛び込み、伊勢参り2011年05月09日

そんなわけで(どんなわけかは省略)、
しばらく東京を離れていました。


その日の朝、
我が家のリビングに雀が飛び込んできました。
30㎝ほど開けていたガラス戸の隙間から、
レースのカーテンをくぐって(?)飛び込んできた、もよう。

隣の部屋にいた私は、
妙にリアルで生々しい雀のさえずりに、なに?と思ってリビングに行ったら、
思いのほかでかい鳥がバタバタ飛び回っているではありませんか!

鳴き声は雀でしたが、
見た目が大きいので、一瞬ヒヨドリ?と思ったのですが、やはり雀。

狂い飛び。
さえずり、さえずり。 

おそらく恐怖と混乱と救助を求める姿だったと思われます。

が、
なぜここに入ってくる? と私も困惑。

助けようとするも、リビングに私の気配がするだけで飛び狂うしまつ。

ベランダからこっそり回ってガラス戸を大きく開けレースのカーテンも開け、
リビングの様子を覗き雀を探すと、
ガラス戸近くの鉢植えパキラに着地失敗で、
鉢植えとガラス戸の間に落下的着地。
そしてガラス戸の外の私に気づき、逃れようとバタバタ。
それで少しずつ開いている方へと進むので、
その調子その調子と、私も外から脅し(?)をかけ、
そしてようやっと外へ空へと飛んでいきました~。


ああ、やれやれ。


それからカメ係を起こして、
今の雀騒動を話すも、
話しながらどんどん現実味を失くしてしまい、
ねぇ、ほんとうに雀が入ってきたんだよねぇと、
逆にカメ係に問うしまつ。

あとで、ガラス戸のレールの部屋側に雀のフンを見つけたので、
あれは夢でも幻でも妄想でもなかったと確信できたのですが、
ああ、いかん。 
私もどこかへ行ってこよう…と、そのとき思いました。

そして、伊勢参り。

(この間のあれこれは省略)

外宮



内宮 宇治橋



内宮



月読宮



伊勢に行くならしっかり勉強してから…と思っていたのに、
実際には、行き当たりばったりのお参りとなりました。
途中、交番に入っておまわりさんに、
「ここはどこでしょう?」と尋ねもしましたし…。

そのぶん、先入観なしで、いろいろ感じるままに動くことができました。

なので、帰ったあとになって、
あっ、行ってない(探してもない…)という場所を思い出し、
それはまた次の機会に、と思います。


次は外宮中心で参りたいです。

外宮、怪しかったです。非常に。
ひとりで、ぎゃあきゃあ言ってました。
いいんですか?お邪魔して?って感じでした。

嫌な気ではないのですが、
あちらこちらに結界の気配があり、どきどきしっぱなしでした。

なんでだか自分でもよくわかりませんが。

そういうのが内宮ではなかったです。
嘘っぽい解放感、が漂っていました。

それも不思議。で怪しい…。




そんなこんなで、東京に戻ってからは、
なんだかちょっと言葉をしまっておきたくなりました。


むこうでは、新聞もネットも見ずにいました。
テレビのニュースも関東圏とは違う地域情報で、
余震の揺れも伝わらず、だったので、
震災以降、立てっぱなしだったココロのアンテナを休めることができたようでした。

戻ってから、
それまでチェックしていた人たちのブログやツイッターをしばらくぶりで読んだら、
ひりひりした言葉を書き込んでいる人の言葉は、あいかわらず。でした。
状況が、そんな好転しているわけではないので当然なのでしょうけれど。
というより、
私のココロが少し変わったぶんだけ、
その言葉のひりひり度が増しているように感じられてしまいました。


良くも悪くも刺激を発する言葉は、
それを求める人を集めていきます。

雀が飛び込んでくる前の私もまた、
集まったなかの一人だったと思います。
その言葉の刺激をどう受け取る私なのか、
私は私を確認ようとしていました。

そこで、私の内に生じる言葉を得ようとしていました。

でもそれはもうしたくないと思ったのかもしれません。
しなくても大丈夫。平気。と思えたのかもしれません。

言葉をしまいたくなってしまった理由を言葉にすればそんな感じでしょうか。



だからといって、言葉を全部封印したわけではありません。

しまった言葉は「書き言葉」。

直接言葉を伝えることができる「会話」を大事にしたいと思ったのです。

それでブログの更新もごぶさたとなりました。
が、ここで復活したのはどうしてでしょう。

「会話」をしたいですって、意思表示。 ですかしら。