意外感ではなく既視感 ― 2012年06月05日
「訳者あとがき」を先に読んでしまったので、
その「あとがき」が、
ややおしゃべり感が強く、
それに引きずられ、
というか、
期待値が上がってしまったので、
読みながら、
「あとがき」は後に読めばよかった…と思うことになってしまいました。
『極北』 マーセル・セロー 村上春樹/訳
中央公論新社 2012/4 (写真)
でも、
読了後に「あとがき」を読めば、
物語の余韻よりも、
訳者と著者(とその父親)との関係やら、
本書を訳すまでの経緯に気が向いてしまいそうです。
ファンにとっては興味深いエピソードなんでしょうけど。
物語は「あとがき」にあったような意外感ではなく、
「そこ」に始まり「そこ」に戻り、
「そこ」に問いかけ、
その先を語ろうと(したりしなかったり)する、
これまでにも触れてきた他の物語と似たような印象を持ちました。
結局「そこ」なんだね。
そんな「そこ」のことは置いといて読み進むうち、
「バルサ」の気配を感じ、
それからちょっとワクワクしながら一気に読了となりました。
短槍使いの「バルサ」です。
でも物語の終わりに「バルサ」との決定的な違いがあって、
そこが、
この物語をファンタジーな味に仕上げているのだろうと思いました。
男の、ファンタジー。
あるいは、幻想。
「そこ」に加えてそれが、私の意外感を削いでいるのかもしれません。
意外感というよりは、既視感。
それは「あとがき」にあるように、
“あの三月十一日”の後だからこそ。でもあるのですが。
その「あとがき」が、
ややおしゃべり感が強く、
それに引きずられ、
というか、
期待値が上がってしまったので、
読みながら、
「あとがき」は後に読めばよかった…と思うことになってしまいました。
『極北』 マーセル・セロー 村上春樹/訳
中央公論新社 2012/4 (写真)
でも、
読了後に「あとがき」を読めば、
物語の余韻よりも、
訳者と著者(とその父親)との関係やら、
本書を訳すまでの経緯に気が向いてしまいそうです。
ファンにとっては興味深いエピソードなんでしょうけど。
物語は「あとがき」にあったような意外感ではなく、
「そこ」に始まり「そこ」に戻り、
「そこ」に問いかけ、
その先を語ろうと(したりしなかったり)する、
これまでにも触れてきた他の物語と似たような印象を持ちました。
結局「そこ」なんだね。
そんな「そこ」のことは置いといて読み進むうち、
「バルサ」の気配を感じ、
それからちょっとワクワクしながら一気に読了となりました。
短槍使いの「バルサ」です。
でも物語の終わりに「バルサ」との決定的な違いがあって、
そこが、
この物語をファンタジーな味に仕上げているのだろうと思いました。
男の、ファンタジー。
あるいは、幻想。
「そこ」に加えてそれが、私の意外感を削いでいるのかもしれません。
意外感というよりは、既視感。
それは「あとがき」にあるように、
“あの三月十一日”の後だからこそ。でもあるのですが。
生まれ変わり ― 2012年06月08日
長い長い物語でした。
『夜の写本師』 乾石智子 東京創元社 2011/4 (写真)
なにしろ、
1000年も500年も100年も遡り、
生まれ変わり生まれ変わりし、
復讐をなそうとする物語。
ですから。
と、聞くと、
読む前から息切れしそうになりそうです。
が、
物語の始まりがとても印象的なので、
それに引っ張られて、
ぐいぐいと物語にのめり込んでいきました。
“右手に月石。
左手に黒曜石。
口のなかに真珠。
カリュドウは三つの品をもって生まれてきた。”
そのカリュドウが「夜の写本師」となる物語に、
三つの品をめぐる三人の魔女と、
彼女たちがともに呪う男(大魔道師)と、
カリュドウの運命が重なっていきます。
虐げられる女性と、
畏れるがゆえに女性を虐げる男性。
といった性差を描き問う物語にもなっていて、
そこはちょっと注目していたのですが、
物語の結末や、
その直前であきらかになる、
そもそもの男(大魔道師)の謎(弱点)に、
性差を対立するものとして語らない物語とわかり、
読了直後は肩すかしなポカンな感じを持ってしまいました。
でも、それがこの物語の魅力になっていると思います。
だって、
だから物語はその先も続くと感じられるからです。
生まれ変わり。
生まれ変わってまたあなたに会います。
私は、
生まれ変わりは信じないし、
それを望むこともないのですけど。
『夜の写本師』 乾石智子 東京創元社 2011/4 (写真)
なにしろ、
1000年も500年も100年も遡り、
生まれ変わり生まれ変わりし、
復讐をなそうとする物語。
ですから。
と、聞くと、
読む前から息切れしそうになりそうです。
が、
物語の始まりがとても印象的なので、
それに引っ張られて、
ぐいぐいと物語にのめり込んでいきました。
“右手に月石。
左手に黒曜石。
口のなかに真珠。
カリュドウは三つの品をもって生まれてきた。”
そのカリュドウが「夜の写本師」となる物語に、
三つの品をめぐる三人の魔女と、
彼女たちがともに呪う男(大魔道師)と、
カリュドウの運命が重なっていきます。
虐げられる女性と、
畏れるがゆえに女性を虐げる男性。
といった性差を描き問う物語にもなっていて、
そこはちょっと注目していたのですが、
物語の結末や、
その直前であきらかになる、
そもそもの男(大魔道師)の謎(弱点)に、
性差を対立するものとして語らない物語とわかり、
読了直後は肩すかしなポカンな感じを持ってしまいました。
でも、それがこの物語の魅力になっていると思います。
だって、
だから物語はその先も続くと感じられるからです。
生まれ変わり。
生まれ変わってまたあなたに会います。
私は、
生まれ変わりは信じないし、
それを望むこともないのですけど。
土星のしわざ ― 2012年06月21日
昨夜、
近所の小学校横を歩いて帰る途中、
二つ並ぶ星をみつけました。
気になる。
でも、
何座の星なのか見当つかず…。
歩きながら、
街灯や建物の灯りが邪魔しないあたりの夜空を見渡すと、
ぽつぽつと、
明るい星が見えました。
結べば、春の大曲線。
かも?
と思うけれどよくわかりません。
この季節に、あんな二つ星あったっけ?
気になる。気になる。
ああ、高校時代の佐藤くんはいまどこに…。
自力での解決をあきらめ、
うつむいて帰宅に集中。
しつつ、
ふいに、
広~い夜空の下に立って、
後ろに倒れる勢いで首をのけぞらせて、
見渡せる限りの星を眺めてみたくなりました。
寝転んで見ることができればもっといい。のに。。。
帰ってから星座早見(写真)と天文手帳を調べたら、
おとめ座のスピカと土星が並んでいるとわかりました。
あの二つの星がそうだったと思います。
春の大曲線の混乱は土星のしわざでした。
惑星、ですからねぇ。
そんなこんなで、
今日は夏至です。
近所の小学校横を歩いて帰る途中、
二つ並ぶ星をみつけました。
気になる。
でも、
何座の星なのか見当つかず…。
歩きながら、
街灯や建物の灯りが邪魔しないあたりの夜空を見渡すと、
ぽつぽつと、
明るい星が見えました。
結べば、春の大曲線。
かも?
と思うけれどよくわかりません。
この季節に、あんな二つ星あったっけ?
気になる。気になる。
ああ、高校時代の佐藤くんはいまどこに…。
自力での解決をあきらめ、
うつむいて帰宅に集中。
しつつ、
ふいに、
広~い夜空の下に立って、
後ろに倒れる勢いで首をのけぞらせて、
見渡せる限りの星を眺めてみたくなりました。
寝転んで見ることができればもっといい。のに。。。
帰ってから星座早見(写真)と天文手帳を調べたら、
おとめ座のスピカと土星が並んでいるとわかりました。
あの二つの星がそうだったと思います。
春の大曲線の混乱は土星のしわざでした。
惑星、ですからねぇ。
そんなこんなで、
今日は夏至です。
高校生のための学級文庫絵本 12 ― 2012年06月27日
『漂流物』 デイヴィッド・ウィーズナー BL出版 2007/5 (写真)
絵本を、
開いた人だけよ。
行けるのは。
行ってらっしゃい。
遠くに。
深くに。
海の底。
あるいは、
異なる世界に。
遠くに。
時を遡り、
戻り、
向こうにいるきみのところへ。
そして、
おかえりなさい。
絵本を閉じ。
そしてまた開きたくなります。
行ってらっしゃい。
絵本を、
開いた人だけよ。
行けるのは。
行ってらっしゃい。
遠くに。
深くに。
海の底。
あるいは、
異なる世界に。
遠くに。
時を遡り、
戻り、
向こうにいるきみのところへ。
そして、
おかえりなさい。
絵本を閉じ。
そしてまた開きたくなります。
行ってらっしゃい。
ふたりの私 ― 2012年06月30日
静かな物語でした。
『ブルックリン』 コルム・トビーン 栩木伸明/訳
白水社 2012/5 (写真)
1950年代前半。
アイルランドの田舎町エニスコーシーから、
アメリカのブルックリンへと移り住んだ若い娘アイリーシュの日々。
とはいえ、
大西洋を横断する船旅を経て、
大都会ブルックリンのデパートで、
店員として働きながら、
まったく見知らぬ場所で生き始めた娘の生活が、
そんな静かで穏やかなわけがありません。
登場する、
あちら(エニスコーシー)とこちら(ブルックリン)の人々もまた、
それぞれがそれぞれの人生を抱え、
アイリーシュの日々と交差していきます。
でも、語られるのはアイリーシュの日々。
交差する人の人生の事情や思惑は、
アイリーシュを通したものなので、
ほんとうはどうであったのか、
アイリーシュの思い違いや思い込みもあるのではないの?
と思いながら、
それぞれの人を掴もうと、
想像し、思いを寄せ、
物語は自然と豊かにふくらんでいきました。
静か。
で、
熱く深みのある物語でした。
エニスコーシーとブルックリン。
そのどちらの私(アイリーシュ)もほんとうの私(アイリーシュ)なのに、
どちらか一方は幻であるかのように思える感覚。
私も、そんな感覚を繰り返しながら、
あちらこちらの場所で生きてきたことを思いました。
そして、これからは?
アイリーシュも私も、
途中の物語の中にいます。
『ブルックリン』 コルム・トビーン 栩木伸明/訳
白水社 2012/5 (写真)
1950年代前半。
アイルランドの田舎町エニスコーシーから、
アメリカのブルックリンへと移り住んだ若い娘アイリーシュの日々。
とはいえ、
大西洋を横断する船旅を経て、
大都会ブルックリンのデパートで、
店員として働きながら、
まったく見知らぬ場所で生き始めた娘の生活が、
そんな静かで穏やかなわけがありません。
登場する、
あちら(エニスコーシー)とこちら(ブルックリン)の人々もまた、
それぞれがそれぞれの人生を抱え、
アイリーシュの日々と交差していきます。
でも、語られるのはアイリーシュの日々。
交差する人の人生の事情や思惑は、
アイリーシュを通したものなので、
ほんとうはどうであったのか、
アイリーシュの思い違いや思い込みもあるのではないの?
と思いながら、
それぞれの人を掴もうと、
想像し、思いを寄せ、
物語は自然と豊かにふくらんでいきました。
静か。
で、
熱く深みのある物語でした。
エニスコーシーとブルックリン。
そのどちらの私(アイリーシュ)もほんとうの私(アイリーシュ)なのに、
どちらか一方は幻であるかのように思える感覚。
私も、そんな感覚を繰り返しながら、
あちらこちらの場所で生きてきたことを思いました。
そして、これからは?
アイリーシュも私も、
途中の物語の中にいます。
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