あけましておめでとうございます ― 2010年01月03日

お正月三が日、
ゆるゆるぐだぐだぼやぼや過ごしています。
昼からビールあけてやるぅ!
と決意していたのに、
飲むの、忘れていました。
初詣がてらご近所を散歩して、
ようやっと世の中に戻ってきた感じです。
ただいま!
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
<(_ _)>
写真は、出雲の郷土玩具。
高橋張子虎本舗の「張子の虎」です。
毎年、端午の節句に飾っていますが、
今年は、寅(とら)年ですから。
早い目のご登場となりました。
ゆるゆるぐだぐだぼやぼや過ごしています。
昼からビールあけてやるぅ!
と決意していたのに、
飲むの、忘れていました。
初詣がてらご近所を散歩して、
ようやっと世の中に戻ってきた感じです。
ただいま!
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
<(_ _)>
写真は、出雲の郷土玩具。
高橋張子虎本舗の「張子の虎」です。
毎年、端午の節句に飾っていますが、
今年は、寅(とら)年ですから。
早い目のご登場となりました。
身代り ― 2010年01月06日
世間は、もう普段日となっているのでしょうか?
仕事も始まっていますか?
我が家では、
年末に用意した花が散り出しています。
今朝、私のお茶碗を落として割りました。
食器棚に入れようとしたとき、
するりと手から落ちて、棚に当たって割れてしまいました。
あああっ!
しばし、ぼ~ぜん。。。
が、
お茶碗が私の身代りになりましたか…と思い、
感謝しつつ、やがて、晴れ晴れとした気持ちとなっていきました。
このお茶碗、
出雲大社にお参りしたあとで必ず行く陶器店で買ったものでした。
気に入って使っていて、もう10年以上も使っていました。
が、実は何年も前からふちが欠けていました。
ほんのちょっと、1mm2mmほどの丸い欠けでした。
その後、出雲大社に行った折にいつもの陶器店で新しいお茶碗を買っていたのですが、
なんとなく、替えるタイミングをつかみそこねて昨夜まで使っていました。
そういえば、ゆうべ、夕食のあと、
しみじみと、そのお茶碗の欠けたところを眺めたのでした。
今年も元日に替えなかったなぁ~と思い、
引越しのときには替えるかな。と、
引越しの予定もまだないのに、そんなことを思っていたのです。
そのお茶碗が、今朝、見事に割れてしまいまいた。
派手な音を立てて割れ、
私も「あああっ!」と声をあげたので、
カメ係が出てくるのかと思いましたが、それもなく、
その後は、淡々と欠片を集め、掃除機をかけ、
割れたお茶碗の跡形もなく片づけました。
カメ係は、年末にメガネを壊しました。
りとるの店番中に動揺した声のカメ係から電話があり、
メガネのフレームが真っ二つに折れたとの連絡があったときは、
顔に怪我をしたのではないかと心配しましたが、それはなく、
バランスを崩して手を突いた机の上に、
外して置いていたメガネがあって直撃したとのこと。
裸眼で一人歩くのは不安というのもあって、
駅で待ち合わせて、そのまま眼鏡屋へ直行したのでした。
そのときも、怪我がなくて安心したと同時に、
メガネがカメ係の身代りになってくれたんじゃないのかな、と思いました。
なんの根拠もないんですけど…。
ただ、そう思って納得し、
そして、わけもなくすっきりとした気持ちになったのです。
そのときの、ふっと軽くなった気持ち。
今朝、割れた茶碗を見たときも、それと同じ気持ちになりました。
身代り。
私の身代り。
そして、なんだか解放されたような気分。
ひとつひとつ、自由になっていくような気分。
お昼前になって、ふと何か思い出したかのようにカメ係が、
「今朝、何か割った?」と聞いてきたので、
そうそう!お茶碗をネ、割ったのよ~。と、私も思い出しました。
やっぱり音は聞こえていたのね。
そして、もう何年も前に買ったままでいた新しいお茶碗を箱から出し、カメ係にも見せました。
私も、久々に見ました。
気分もまたあらたになりますね。
私も、あらたになりますか?
仕事も始まっていますか?
我が家では、
年末に用意した花が散り出しています。
今朝、私のお茶碗を落として割りました。
食器棚に入れようとしたとき、
するりと手から落ちて、棚に当たって割れてしまいました。
あああっ!
しばし、ぼ~ぜん。。。
が、
お茶碗が私の身代りになりましたか…と思い、
感謝しつつ、やがて、晴れ晴れとした気持ちとなっていきました。
このお茶碗、
出雲大社にお参りしたあとで必ず行く陶器店で買ったものでした。
気に入って使っていて、もう10年以上も使っていました。
が、実は何年も前からふちが欠けていました。
ほんのちょっと、1mm2mmほどの丸い欠けでした。
その後、出雲大社に行った折にいつもの陶器店で新しいお茶碗を買っていたのですが、
なんとなく、替えるタイミングをつかみそこねて昨夜まで使っていました。
そういえば、ゆうべ、夕食のあと、
しみじみと、そのお茶碗の欠けたところを眺めたのでした。
今年も元日に替えなかったなぁ~と思い、
引越しのときには替えるかな。と、
引越しの予定もまだないのに、そんなことを思っていたのです。
そのお茶碗が、今朝、見事に割れてしまいまいた。
派手な音を立てて割れ、
私も「あああっ!」と声をあげたので、
カメ係が出てくるのかと思いましたが、それもなく、
その後は、淡々と欠片を集め、掃除機をかけ、
割れたお茶碗の跡形もなく片づけました。
カメ係は、年末にメガネを壊しました。
りとるの店番中に動揺した声のカメ係から電話があり、
メガネのフレームが真っ二つに折れたとの連絡があったときは、
顔に怪我をしたのではないかと心配しましたが、それはなく、
バランスを崩して手を突いた机の上に、
外して置いていたメガネがあって直撃したとのこと。
裸眼で一人歩くのは不安というのもあって、
駅で待ち合わせて、そのまま眼鏡屋へ直行したのでした。
そのときも、怪我がなくて安心したと同時に、
メガネがカメ係の身代りになってくれたんじゃないのかな、と思いました。
なんの根拠もないんですけど…。
ただ、そう思って納得し、
そして、わけもなくすっきりとした気持ちになったのです。
そのときの、ふっと軽くなった気持ち。
今朝、割れた茶碗を見たときも、それと同じ気持ちになりました。
身代り。
私の身代り。
そして、なんだか解放されたような気分。
ひとつひとつ、自由になっていくような気分。
お昼前になって、ふと何か思い出したかのようにカメ係が、
「今朝、何か割った?」と聞いてきたので、
そうそう!お茶碗をネ、割ったのよ~。と、私も思い出しました。
やっぱり音は聞こえていたのね。
そして、もう何年も前に買ったままでいた新しいお茶碗を箱から出し、カメ係にも見せました。
私も、久々に見ました。
気分もまたあらたになりますね。
私も、あらたになりますか?
ギリ!ドゥシャン・カーライ ― 2010年01月15日

こまごまと、
つぎはぎな日々が続いています。
年をまたいでの展示が、お正月休みを終えて再開したり、
今年最初の展示が始まったりしているのに、
予定を立てて出かけることもできずにいます。
それでも、
夕方までは空いているという日ができたので、
それまでの時間で行けそうな展示会場を検討しました。
神保町でやっているはずのドゥシャン・カーライの展示は、
期間にまだ余裕があるはず…と思っていたものの、
念のためと確認すると、13日までとありました。
13日?
今日は何日?
13日。
じゅうさんにちぃぃいいいい?
今日、まで、やん!
というわけで、他の展示をざざざ~っとのけて、
神保町へ行く算段となりました。
ドゥシャン・カーライ「七つの大罪」
-2008年刊-を中心に版画小品展
gallery 福果 (終了) (写真はDMはがき)
gallery 福果へは何度も行ったことあるのですが、
久々の地下鉄乗車で、乗り換えの九段下であたふたし、
降りた神保町では、出る改札を探して階段を上ったり下りたり。
最寄のA7出口に出たときには息が切れてしまいました。
が、ギャラリーはそこからすぐ。
息を整える間もなく、2階へと続く階段を踏みしめて上り、
ドアを開けたら目の前にドゥシャン・カーライが、
じゃなくて、
ドゥシャン・カーライの作品が静かに並んでいました。
拝見、させていただきます。
と、息を整えながら見ようとするのですが、
気づけば息を止めている私。
小品でありながら、作品世界は緻密で広大。
一つの作品を見渡すにも時間がかかります。
そこへ一人の男性が、
息を切らす気配もなく階段を上りドアを開け、
すたすたとドゥシャン・カーライの前に立ち、
じゃなくて、
作品の前に立ち、
というか、軽く立ち止まり、
流れるように次々と見渡して行きはじめました。
私はなにげに作品から遠ざかり、
その人の流れをさえぎらず、
その人が見ている後姿越しにドゥシャン・カーライ(の作品)の全体を眺め、
その人が見終わった作品の前に再びゆっくり近寄りました。
その人が、今度はじっくり作品を見にまた戻ってくるのかと思っていましたら、
さらさらと芳名帳に記入したのち、
やはり流れるようにドアを開け出て行き、
階段を下りる足音がリズム良く響き、やがて静かになりました。
ふぅ~。
なんだかそこでやっと呼吸が落ち着きました。
そしてあらためて拝見させていただきます。
「七つの大罪」はキリスト教の用語です。
傲慢・嫉妬・憤怒・怠惰・強欲・暴食・色欲
それぞれの罪を描いた作品に見入りながら、
ふと、今、読んでいる『日本書紀』についての本の中にも、
「七つの罪」について書かれていることを思い出しました。
“汝らが党族、本より七つの不可を犯せり”
(いましらがやから、もとよりななつのあしきことをおかせり)
『日本書紀』天武天皇六年、東漢直(やまとのあやのあたい)らに発せられている「七つの罪の詔勅」だそうです。
う~ん。
キリスト教の「七つの大罪」を前にして、
『日本書紀』のことを思うなんて、、、。
自分の混乱・混沌ぶりに自分でもびっくりでございました。。。
びっくりやし、
ドゥシャン・カーライの作品世界にはまだまだ近づけないし、
さっきの人のように、すらすらと眺め去ることなんかできひんわぁ~。
ふぅ~。
そんなこんなを思いながら芳名帳に記していると、
ふと、他のギャラリーのDMが目に止まりました。
その中に「上野茂都 展」を発見!
上野茂都 展 -石・紙・布による彫刻-
淡路町画廊 (~16日)
ギャラリーの人に聞けば歩いて行ける距離とのこと。
次の予定までにはまだ時間があったので、
よし!行ってみよう!と歩き出しました。
そしてたどり着いた淡路町画廊…。
ここでもびっくりなことがあり!
そして作品を見ながら、いろいろと思うことがあり。
今はまだ、つぎはぎな生活であるけれど、
私は私のままでここにいることを確認することができました。
大丈夫!
今のところ、もろもろ大丈夫!
そんなこんなのあれやこれや。
そして早くも1月も後半となっていきます。
出かけたい展示が容赦なく次々と始まっています。
見逃さないように、
ちゃんと予定立てて出かけていこうと思います。
歩いて歩いて、
作品と直に出会って向き合って、
私は私を見つけます。
そしてご無沙汰やお久しぶりな人ともお会いしたく。。。
つぎはぎな日々が続いています。
年をまたいでの展示が、お正月休みを終えて再開したり、
今年最初の展示が始まったりしているのに、
予定を立てて出かけることもできずにいます。
それでも、
夕方までは空いているという日ができたので、
それまでの時間で行けそうな展示会場を検討しました。
神保町でやっているはずのドゥシャン・カーライの展示は、
期間にまだ余裕があるはず…と思っていたものの、
念のためと確認すると、13日までとありました。
13日?
今日は何日?
13日。
じゅうさんにちぃぃいいいい?
今日、まで、やん!
というわけで、他の展示をざざざ~っとのけて、
神保町へ行く算段となりました。
ドゥシャン・カーライ「七つの大罪」
-2008年刊-を中心に版画小品展
gallery 福果 (終了) (写真はDMはがき)
gallery 福果へは何度も行ったことあるのですが、
久々の地下鉄乗車で、乗り換えの九段下であたふたし、
降りた神保町では、出る改札を探して階段を上ったり下りたり。
最寄のA7出口に出たときには息が切れてしまいました。
が、ギャラリーはそこからすぐ。
息を整える間もなく、2階へと続く階段を踏みしめて上り、
ドアを開けたら目の前にドゥシャン・カーライが、
じゃなくて、
ドゥシャン・カーライの作品が静かに並んでいました。
拝見、させていただきます。
と、息を整えながら見ようとするのですが、
気づけば息を止めている私。
小品でありながら、作品世界は緻密で広大。
一つの作品を見渡すにも時間がかかります。
そこへ一人の男性が、
息を切らす気配もなく階段を上りドアを開け、
すたすたとドゥシャン・カーライの前に立ち、
じゃなくて、
作品の前に立ち、
というか、軽く立ち止まり、
流れるように次々と見渡して行きはじめました。
私はなにげに作品から遠ざかり、
その人の流れをさえぎらず、
その人が見ている後姿越しにドゥシャン・カーライ(の作品)の全体を眺め、
その人が見終わった作品の前に再びゆっくり近寄りました。
その人が、今度はじっくり作品を見にまた戻ってくるのかと思っていましたら、
さらさらと芳名帳に記入したのち、
やはり流れるようにドアを開け出て行き、
階段を下りる足音がリズム良く響き、やがて静かになりました。
ふぅ~。
なんだかそこでやっと呼吸が落ち着きました。
そしてあらためて拝見させていただきます。
「七つの大罪」はキリスト教の用語です。
傲慢・嫉妬・憤怒・怠惰・強欲・暴食・色欲
それぞれの罪を描いた作品に見入りながら、
ふと、今、読んでいる『日本書紀』についての本の中にも、
「七つの罪」について書かれていることを思い出しました。
“汝らが党族、本より七つの不可を犯せり”
(いましらがやから、もとよりななつのあしきことをおかせり)
『日本書紀』天武天皇六年、東漢直(やまとのあやのあたい)らに発せられている「七つの罪の詔勅」だそうです。
う~ん。
キリスト教の「七つの大罪」を前にして、
『日本書紀』のことを思うなんて、、、。
自分の混乱・混沌ぶりに自分でもびっくりでございました。。。
びっくりやし、
ドゥシャン・カーライの作品世界にはまだまだ近づけないし、
さっきの人のように、すらすらと眺め去ることなんかできひんわぁ~。
ふぅ~。
そんなこんなを思いながら芳名帳に記していると、
ふと、他のギャラリーのDMが目に止まりました。
その中に「上野茂都 展」を発見!
上野茂都 展 -石・紙・布による彫刻-
淡路町画廊 (~16日)
ギャラリーの人に聞けば歩いて行ける距離とのこと。
次の予定までにはまだ時間があったので、
よし!行ってみよう!と歩き出しました。
そしてたどり着いた淡路町画廊…。
ここでもびっくりなことがあり!
そして作品を見ながら、いろいろと思うことがあり。
今はまだ、つぎはぎな生活であるけれど、
私は私のままでここにいることを確認することができました。
大丈夫!
今のところ、もろもろ大丈夫!
そんなこんなのあれやこれや。
そして早くも1月も後半となっていきます。
出かけたい展示が容赦なく次々と始まっています。
見逃さないように、
ちゃんと予定立てて出かけていこうと思います。
歩いて歩いて、
作品と直に出会って向き合って、
私は私を見つけます。
そしてご無沙汰やお久しぶりな人ともお会いしたく。。。
なんと、まあ! ― 2010年01月19日
カメ係の、センター試験再挑戦が終わりました。
翌日には新聞に問題と解答が掲載されたので、
解いてみた人もいると思いますが、
私は、カメ係の話だけでもう充分。
見たくもないわ!な気分でした。
なかでも国語。
現代文の問題となった小説の話を聞いているうち、
あら?
それって『楽隊のうさぎ』ちゃうの?と思ってしまいました。
そしてビンゴ!
『楽隊のうさぎ』 中沢けい 新潮社 2000
これって最近読んだばかり。
年末に。
それが問題になってたの~?
センター試験の!!
あらまあ!なんということでございましょう。。。
実はこの本、もうとっくに読んでいると思っていたのでした。
その続編、
『うさぎとトランペット』 中沢けい 新潮社 2004
を読もうと手にとったとき、
いや、
『楽隊のうさぎ』も読んでいない…。と気づいたのでした。
それで、年末年始の読書にと2冊とも借りていたのです。
『楽隊のうさぎ』は吹奏楽部経験者の私にとって、とても面白く懐かしく読めました。
吹奏楽部で鳴るさまざまな音たちの言葉による描写に圧倒されたり感心したり、部員たちの悩みや感動に共感したり。
そうですか、その小説が問題に…。
そうか、やっぱりそういう小説なわけだ…。
って、実は肝心の『うさぎとトランペット』は途中で放棄!
新年早々読み切れなかった本にしてしまって後味悪く、
なにがどうして読めなかったんかなぁ~と自問することのくり返しでしたが、
そうか、問題になるような「ちゃんとした」小説の続編やしなぁ~。
と、変に納得しようとしています。
本当は、私の読書的体力が足りなかったせいと思います。
そんなわけで「解いてみる?」というカメ係の誘いはお断り。
私は、キミの体調管理で精一杯なんですよお!
こんな日々が、まだまだ続いていくのでした。。。p(>_<)q
翌日には新聞に問題と解答が掲載されたので、
解いてみた人もいると思いますが、
私は、カメ係の話だけでもう充分。
見たくもないわ!な気分でした。
なかでも国語。
現代文の問題となった小説の話を聞いているうち、
あら?
それって『楽隊のうさぎ』ちゃうの?と思ってしまいました。
そしてビンゴ!
『楽隊のうさぎ』 中沢けい 新潮社 2000
これって最近読んだばかり。
年末に。
それが問題になってたの~?
センター試験の!!
あらまあ!なんということでございましょう。。。
実はこの本、もうとっくに読んでいると思っていたのでした。
その続編、
『うさぎとトランペット』 中沢けい 新潮社 2004
を読もうと手にとったとき、
いや、
『楽隊のうさぎ』も読んでいない…。と気づいたのでした。
それで、年末年始の読書にと2冊とも借りていたのです。
『楽隊のうさぎ』は吹奏楽部経験者の私にとって、とても面白く懐かしく読めました。
吹奏楽部で鳴るさまざまな音たちの言葉による描写に圧倒されたり感心したり、部員たちの悩みや感動に共感したり。
そうですか、その小説が問題に…。
そうか、やっぱりそういう小説なわけだ…。
って、実は肝心の『うさぎとトランペット』は途中で放棄!
新年早々読み切れなかった本にしてしまって後味悪く、
なにがどうして読めなかったんかなぁ~と自問することのくり返しでしたが、
そうか、問題になるような「ちゃんとした」小説の続編やしなぁ~。
と、変に納得しようとしています。
本当は、私の読書的体力が足りなかったせいと思います。
そんなわけで「解いてみる?」というカメ係の誘いはお断り。
私は、キミの体調管理で精一杯なんですよお!
こんな日々が、まだまだ続いていくのでした。。。p(>_<)q
ことばはいらない ― 2010年01月21日

絵本『かいじゅうたちのいるところ』 (モーリス・センダック 神宮輝夫/訳 冨山房 1975)は、私にはあまりにも定番な絵本なので、紹介するのを忘れがちです。
が、
今でも、
だれかれかまわずオススメしたい絵本です。
その『かいじゅうたちのいるところ』が映画(実写!)になると知ったときには、
驚きを越えて、ため息が出ました。
今ではなんでもありな映像化。
その後は、
「この絵本、映画になるんですよぉ~」と、
絵本ともども紹介していましたら、
いつの間にか、映画はもう始まっていました。
そして「見た!」という人の文章を目にして、
見なくていいや…と思ったのですが、
やはり「見た!」という知人の感動ぶりを見て、
私も見よ!と思い立ちました。 (写真はちらしの一部)
映画では、
絵本に描かれていない少年マックスの生活が描かれています。
そのネタばらしと分析を読んで見る気を失くしたので、
用心しいしい映画を見始めました。
が、
知人が言っていた通りに、
そんな事情や状況は説明ではなく、淡々と描かれ(映し出され)ているだけでしたので、見るもの(私)は自由にマックスという少年の心情を思い描き、その景色の中に立ち入ることができました。
そしてたどり着いた“かいじゅうたちのいるところ”
かいじゅうたちと出会い、
自分はナニモノであるかを語るマックス。
その、まるであふれ出るようなことばに、
私は、マックスの孤独を感じてしまいました。
ことばは、相手に「私」を伝えるものであるけれど、
「私」を偽るものにもなるし、
相手を傷つけるものにもなる。
でも、ほんとうに伝えたいことを伝えるときや、
それを受け止めて、
お互いをわかりあえたときには、
ことばは、そんなにはいらないんだってことを、
やがてしみじみと、じんわりと感じて、
私はマックスを見送りました。
私は、ね。
そしてお母さんの表情に、不覚にもうるうる…。
ほんまにもう!男子っていうやつは。。。
絵本、知らない人もぜひ。
知らなくたってぜんぜん平気。
それはだってほら、人のココロの根っこの物語ですから。
『かいじゅうたちのいるところ』は、
そんな絵本で映画です。
と言えてうれしい。
aooo! aooo!! aooo!!!
が、
今でも、
だれかれかまわずオススメしたい絵本です。
その『かいじゅうたちのいるところ』が映画(実写!)になると知ったときには、
驚きを越えて、ため息が出ました。
今ではなんでもありな映像化。
その後は、
「この絵本、映画になるんですよぉ~」と、
絵本ともども紹介していましたら、
いつの間にか、映画はもう始まっていました。
そして「見た!」という人の文章を目にして、
見なくていいや…と思ったのですが、
やはり「見た!」という知人の感動ぶりを見て、
私も見よ!と思い立ちました。 (写真はちらしの一部)
映画では、
絵本に描かれていない少年マックスの生活が描かれています。
そのネタばらしと分析を読んで見る気を失くしたので、
用心しいしい映画を見始めました。
が、
知人が言っていた通りに、
そんな事情や状況は説明ではなく、淡々と描かれ(映し出され)ているだけでしたので、見るもの(私)は自由にマックスという少年の心情を思い描き、その景色の中に立ち入ることができました。
そしてたどり着いた“かいじゅうたちのいるところ”
かいじゅうたちと出会い、
自分はナニモノであるかを語るマックス。
その、まるであふれ出るようなことばに、
私は、マックスの孤独を感じてしまいました。
ことばは、相手に「私」を伝えるものであるけれど、
「私」を偽るものにもなるし、
相手を傷つけるものにもなる。
でも、ほんとうに伝えたいことを伝えるときや、
それを受け止めて、
お互いをわかりあえたときには、
ことばは、そんなにはいらないんだってことを、
やがてしみじみと、じんわりと感じて、
私はマックスを見送りました。
私は、ね。
そしてお母さんの表情に、不覚にもうるうる…。
ほんまにもう!男子っていうやつは。。。
絵本、知らない人もぜひ。
知らなくたってぜんぜん平気。
それはだってほら、人のココロの根っこの物語ですから。
『かいじゅうたちのいるところ』は、
そんな絵本で映画です。
と言えてうれしい。
aooo! aooo!! aooo!!!
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