“本は何者にも服従しない。すべての読者は平等である。”2010年08月21日

 『やんごとなき読者』  アラン・ベネット
                 市川恵里/訳 白水社 2009/3 (写真)

図書館の棚で見つけたときは驚きました。

あら!

書名と表紙と紹介記事をネットで見た印象では、
もっとページ数が多くて、厚くどっしりした本だとばかり思っていましたから。
手にとってパラパラ開いてみると、さらにびっくり。
もっとぎっしり文字が組んであると思っていましたから。

「訳者あとがき」に“中編小説”とあって、
そうなんだ~と納得。
借りて帰ってさっそく読みました。
そしてこの本が、
読書する人たちの間で評判になる理由がわかりました。

読書とはなにか。

エリザベス二世を「読者」に仕立てたこの物語は、
読書することで変化(成長?)していく女王の姿を通してそれが語られていきます。
 
読むこと。
そして、
書くこと。

女王の思索は、彼女自身を「読者」にとどめず、
ある決断へと向かわせることになります。

その過程が、
「本を読むこと」の意味を知らしめ、
読書好きな読者に、読むことの醍醐味を味あわせてくれています。

“エリザベス女王がもし読書に夢中になったら……という仮定に基づく架空の話”(「訳者あとがき」)
であるこの本は、
女王の変化に右往左往する王室周辺の人々の様子も嘲笑的に描かれていて、
イギリスの王室や社会、政治、文学に詳しければ、
もっとこの「架空の話」を楽しめるのかもしれません。


私は、とえいば、
本を読む前と読んだ後。
の、変化を「成長」とし、
その本を読んだことで、
どれだけ成長したかを書くことで評価される、
夏休みの宿題だった「読書感想文」のことが思い出され、
それがあまり楽しい嬉しい記憶ではないせいか、
面白いんだけど、
そうとばかりは思うことができず、
やや複雑な読了気分でした。

もちろん、読むことで変化することは多々あって、
それを「成長」と言われれば、こそばゆくも誇らしくもあるけれど、
マイナス的に変化することだってあるのですから。

そのあたりのことは、
女王の変化に伴う周囲の戸惑いとしても、この本には描かれてもいるのですが、
読む前にはそこがわからず、
それが、この本を「重厚で読みにくかろう本」的印象を持った理由だったのかもしれません。

本は、実際に手にとってみることでその印象を大きく変えることがあって、
それもまた読書の楽しみでもあります。

“机の上にずらりと並んだ青とピンクの表紙の全集を見て、ケーキ屋のウィンドウから飛び出してきたお菓子のようだと女王は思った”
とあるから、
女王もまたそんな楽しみ方をしている人なんだと思えます。

ただし、この全集は、プルーストの小説。

マルセル・プルースト。
フランスの小説家。『「失われた時を求めて」の著者。

私はまったくの未読。
いつか読めるかしら………。
そしてその全集を、お菓子のようと思えるかしら~。

  (V)o¥o(V)