夏の扉を開けるのだ ― 2010年07月06日
梅雨まっただ中の、
ぐだぐだ、
じゃなくて、
じめじめ、な日々です。
ぐだぐだ、なのは、我が家。
もう、昨夜なんて………。
お金がない(忘れた)、傘もない(持って出なかった)、のカメ係と、
吉祥寺トムズボックスで待ち合わせ。
7月展示
荒井良二の小さな展覧会 『Who景』 (~7月31日)
の作品を観る前に、
やや待ちくたびれた感のあるカメ係に「物」を渡し、
出かける前にあたふたした「ドレスコード」がどうだったかを聞き、
それは大丈夫だったことを確認し、
じゃっ!
と言って帰ったあとで、
やっとゆっくり作品の前に立ちました。
夏の扉が開くまえに、
カメ係は面白そうな扉をみつけては選び、
次へ次へと開けていっています。
が、
私は扉の気配を感じつつも躊躇中。
荒井良二さんが見せてくれているいくつもの『Who景』を前にして、
切り取られ縁どられた世界のほうが、
その奥やその先の世界が想像できて面白いのでは?
などと感じ。
振り返って私は、
その、縁どりをとっぱらった先の私の成り行きに、
妄想が暴走し、息切れ、
ああ、くらくらする~、貧血~(+_+)。
な感じです。か。
それは、只今読書中の本のせいでもあると思います。
(ハヤクドクリョウシテカイホウサレタイ、、、、)
隣りのビルの解体工事も最高潮で、
震度1・2級の地響きと小刻みな揺れに、
気づけば、息を止めて耐えている状況。
もう、ココロぐるぐるで、ぐだぐだ。
夏の扉を自分で開けて、
「エール」をもらいに出かけて行きたいです。
写真は我が家の玄関。
花瓶から1mほど伸びたポトスの、先端の葉先に、ひとつぶの雫。
ぽとりと落ちてもまたひとつぶ。。。。
でも、この夏は、
いくつかの扉を開けてその先を覗く予定です。
ぐだぐだ、
じゃなくて、
じめじめ、な日々です。
ぐだぐだ、なのは、我が家。
もう、昨夜なんて………。
お金がない(忘れた)、傘もない(持って出なかった)、のカメ係と、
吉祥寺トムズボックスで待ち合わせ。
7月展示
荒井良二の小さな展覧会 『Who景』 (~7月31日)
の作品を観る前に、
やや待ちくたびれた感のあるカメ係に「物」を渡し、
出かける前にあたふたした「ドレスコード」がどうだったかを聞き、
それは大丈夫だったことを確認し、
じゃっ!
と言って帰ったあとで、
やっとゆっくり作品の前に立ちました。
夏の扉が開くまえに、
カメ係は面白そうな扉をみつけては選び、
次へ次へと開けていっています。
が、
私は扉の気配を感じつつも躊躇中。
荒井良二さんが見せてくれているいくつもの『Who景』を前にして、
切り取られ縁どられた世界のほうが、
その奥やその先の世界が想像できて面白いのでは?
などと感じ。
振り返って私は、
その、縁どりをとっぱらった先の私の成り行きに、
妄想が暴走し、息切れ、
ああ、くらくらする~、貧血~(+_+)。
な感じです。か。
それは、只今読書中の本のせいでもあると思います。
(ハヤクドクリョウシテカイホウサレタイ、、、、)
隣りのビルの解体工事も最高潮で、
震度1・2級の地響きと小刻みな揺れに、
気づけば、息を止めて耐えている状況。
もう、ココロぐるぐるで、ぐだぐだ。
夏の扉を自分で開けて、
「エール」をもらいに出かけて行きたいです。
写真は我が家の玄関。
花瓶から1mほど伸びたポトスの、先端の葉先に、ひとつぶの雫。
ぽとりと落ちてもまたひとつぶ。。。。
でも、この夏は、
いくつかの扉を開けてその先を覗く予定です。
気絶読書 ― 2010年07月07日
とうとう読了しました。
『トーラーの名において
シオニズムに対するユダヤ教の抵抗の歴史』 (写真)
ヤコヴ・M、ラブキン 菅野賢治/訳 平凡社 2010/04
その書名を見たとき、
頭の中に「?」があふれました。
??????
シオニズムに、
対する、
ユダヤ教の、
抵抗?
抵抗?って、だって、シオニズムって…。
これってどうゆこと?
というだけの理由で、図書館にリクエスト。
その後『ユダヤ人の起源』という、
これまた、どうゆうこと?な本を知りましたがこちらは我慢。
そしていよいよ『トーラーの名において』を手にして読み出したものの、
読んでも読んでも文章が頭に入りません。
『ユダヤ人の起源』を先延ばしにしてよかった~。
この本もちゃんと読めるかどうか…と思うばかり。
二度三度、同じ文章を読み返し、
主語を確認し、
その主語が以下の内容を否定しているのか肯定しているのか、さえもわからない。こともあり。
まるで現代国語の試験問題を読み解いているような感じです。
そして答えがわからない~(V)o¥o(V)
こんなんじゃあ読めるわけがない!と、
漢字の読みから、意味から、
手持ちのツールを駆使して調べつつの読書を開始しました。
流謫
軛
贖い
最初にこの三つの言葉が理解できると、少し読めてくるようになりました。
本文のあとに、
「原注」
「訳注」
「語彙集」
「人物紹介」
と、いたれりな説明が付いているのですが、
そこにも入っていない常識的言葉も知らない私ですから。
ショアー
ジェノサイド
インティファーダ
なども調べましたよ。。。
調べつつ、
こんな私のような「知らず者」は読者対象になってないんやわねぇ、
と、しみじみと思いました。
思いつつ、
それでも読みたいと思ったのです。
なんででしょうね。
でも、読み続けていくうちに文体にも慣れてきたようで、
主語や、
その後の長い長い文章の結論も、一読で読み取れるようになってきました。
そして、知ることによる衝撃がエネルギーとなり、
次のページ次のページへと読み渡り続けました。
途中で何度も気絶のように眠りながら…。
まるごと一冊書名通りの内容です。
出合ってしまったからしょうがありません。
読了した今の、読みたいと思った理由はそうとしか思えません。
人との出会と同じです…。
そういえば、この本を読む直前に、
『図説 ロシアの歴史』
栗生沢 猛夫 河出書房新社 ふくろうの本 2010/05
を読んでいました。
こちらも衝動読み。
なにしろロシアあたりのことも私の中では白地図ですので。
それが今回役立ちました。
そして『ユダヤ人の起源』を図書館検索。
なんと、40人もの予約が入っていました。
私の順番は当分先です。
それでなんだか安堵して予約を入れました。
あああ。
お腹すきました。ね。
『トーラーの名において
シオニズムに対するユダヤ教の抵抗の歴史』 (写真)
ヤコヴ・M、ラブキン 菅野賢治/訳 平凡社 2010/04
その書名を見たとき、
頭の中に「?」があふれました。
??????
シオニズムに、
対する、
ユダヤ教の、
抵抗?
抵抗?って、だって、シオニズムって…。
これってどうゆこと?
というだけの理由で、図書館にリクエスト。
その後『ユダヤ人の起源』という、
これまた、どうゆうこと?な本を知りましたがこちらは我慢。
そしていよいよ『トーラーの名において』を手にして読み出したものの、
読んでも読んでも文章が頭に入りません。
『ユダヤ人の起源』を先延ばしにしてよかった~。
この本もちゃんと読めるかどうか…と思うばかり。
二度三度、同じ文章を読み返し、
主語を確認し、
その主語が以下の内容を否定しているのか肯定しているのか、さえもわからない。こともあり。
まるで現代国語の試験問題を読み解いているような感じです。
そして答えがわからない~(V)o¥o(V)
こんなんじゃあ読めるわけがない!と、
漢字の読みから、意味から、
手持ちのツールを駆使して調べつつの読書を開始しました。
流謫
軛
贖い
最初にこの三つの言葉が理解できると、少し読めてくるようになりました。
本文のあとに、
「原注」
「訳注」
「語彙集」
「人物紹介」
と、いたれりな説明が付いているのですが、
そこにも入っていない常識的言葉も知らない私ですから。
ショアー
ジェノサイド
インティファーダ
なども調べましたよ。。。
調べつつ、
こんな私のような「知らず者」は読者対象になってないんやわねぇ、
と、しみじみと思いました。
思いつつ、
それでも読みたいと思ったのです。
なんででしょうね。
でも、読み続けていくうちに文体にも慣れてきたようで、
主語や、
その後の長い長い文章の結論も、一読で読み取れるようになってきました。
そして、知ることによる衝撃がエネルギーとなり、
次のページ次のページへと読み渡り続けました。
途中で何度も気絶のように眠りながら…。
まるごと一冊書名通りの内容です。
出合ってしまったからしょうがありません。
読了した今の、読みたいと思った理由はそうとしか思えません。
人との出会と同じです…。
そういえば、この本を読む直前に、
『図説 ロシアの歴史』
栗生沢 猛夫 河出書房新社 ふくろうの本 2010/05
を読んでいました。
こちらも衝動読み。
なにしろロシアあたりのことも私の中では白地図ですので。
それが今回役立ちました。
そして『ユダヤ人の起源』を図書館検索。
なんと、40人もの予約が入っていました。
私の順番は当分先です。
それでなんだか安堵して予約を入れました。
あああ。
お腹すきました。ね。
こんなんなってます ― 2010年07月10日
梅雨の晴れ間の朝日がまぶしい…。
だけではなく、
我が家の隣りビルの解体工事が進み、
只今、
開かずの空が開いております。(写真は数日前)
この空、
いつまで開いていますやら。
解体が終わると、
12階建てマンションの建築工事が始まります。
工事の音はうるさ過ぎるけど、
この空の広がりは嬉しい。
次は、
空のある「我が家」で暮らしたいと決意するしだい。
だけではなく、
我が家の隣りビルの解体工事が進み、
只今、
開かずの空が開いております。(写真は数日前)
この空、
いつまで開いていますやら。
解体が終わると、
12階建てマンションの建築工事が始まります。
工事の音はうるさ過ぎるけど、
この空の広がりは嬉しい。
次は、
空のある「我が家」で暮らしたいと決意するしだい。
ズレてる? ― 2010年07月14日
今年も、
なんちゃって本屋「不機嫌図書室」代表とはったりかまして、
東京国際ブックフェアに行ってきました。
会場の東京ビックサイトの熱気はすごく、
なにこれ?
あんまり近寄らんとこ!
な感じで歩いたつもりでしたが、
そもそもの人の多さに最初から飲み込まれてしまっておりました。
今年も、私の興味は児童書ブースではなく、
自然科学書の「自然科学協会」と、
人文・社会科学書の「歴史書懇話会」という、
複数の出版社が入っているブースでした。
そして今年は、
「歴史書懇話会」のブースで、衝動買いをしてしまいました。(写真)
『出雲大社』 第八十二代出雲国造 千家尊統 学生社 1968/08
『伊勢神宮』 櫻井勝之進 学生社 1998/04
古書じゃありませんよ。
(V)o¥o(V)
その後、合流した同行者さんに、
「こんなん見つけちゃいました~」と見せ、
「どうなろうとしてるんやろね、私」と、
自分でもなんでこのあたりの本まで気になっているのかよくわかってないことをしみじみと実感し、
もうヘロヘロですから帰りましょうか…と出口に向かったところで、
今年のブックフェアに呼ばれた(いや、勝手に出かけて行ってたんですけど)理由はこれかいな!と思うものとで出会ってしまい、
そこでサブイボ出してきゃあきゃあ言って、
帰る気力もなくしてしまうほどすっかり疲れてしまったのですが、
その話はまた今度。
(V)o¥o(V)
あれから数日。
ちらほらと、今年のブックフェアの様子や感想記事を見かけるのですが、
私の興味関心とはまったく違うところで盛り上がっていたようです。
いや、ほんとうは、
事前にわかっていたセミナー・イベント情報などから、
今年は電子出版についての議論や、
その影響についての関心が高いことはわかっていました。
だけど私は、そのことへの関心がどうにも向かないのです。
「紙」か「電子」か?
これからの本の形がどうなるのかケンケンガクガクなのかもしれませんが、
私はそれ以前の問題として、
今の子どもたちを取り巻く本の環境を見ていれば、
10年後20年後に読み手(読者)は育つのか?
とさえ思うことがありますから、
「紙」だろうがなんだろうが、
文字(文章)を読むこと、
読んで理解すること、想像すること、感動すること、
ができるのか?
実はそれ自体の危機感の方が大きいのでは?
と思っています。
絵本を、
子育てに必須とする理由さえ、危ないのでは?
と思って、
一人でゾッとして、
いやいや、
それは私の思い過ごしですぅ~。と思ってみたり。
でも、
もしかしたらもしかするかもしれませんし。
子どもが読む最初の本が「絵本」で、
それを0歳から与えるのが良し!とするのなら、
もう少し、考えることがあるような気がします。
ほんとうは、子どもに最初に与えたいのは、
親と子の親密で個性的な、
その子が育つ環境に密着している豊かでおおらかな、
「ことば」だったり「お話(物語)」なんじゃない?
と思います。
そしてそれは絵本にはない、
絵本以前の「ことば」であり「物語」であるはず。
でも今は、それがうまできない、とか、
どうしていいかわからない、という親が多く、
そんな親のニーズに応える振りをして「絵本」が利用されているように見えてなりません。
親世代がもうすでに子どもと交わす「自分のことば」をなくしているという現実に、驚く人はいないのかしら。。。
私の疑問や危機感は、そこにあって、
だから、
電子書籍でもなんでも、文字(文章)を読む読み手がいてこその「本(書籍)」でしょ!
と思ってしまいます。
読書離れ、どころの問題ではない、
ことば離れ、文字離れ、文章離れがはじまっていると思うのは、
私の思い過ごしかもしれません。
でも、
もしかしたらそうではないかもしれませんし。ね。
う~ん。
ズレてるかも。
なんちゃって本屋「不機嫌図書室」代表とはったりかまして、
東京国際ブックフェアに行ってきました。
会場の東京ビックサイトの熱気はすごく、
なにこれ?
あんまり近寄らんとこ!
な感じで歩いたつもりでしたが、
そもそもの人の多さに最初から飲み込まれてしまっておりました。
今年も、私の興味は児童書ブースではなく、
自然科学書の「自然科学協会」と、
人文・社会科学書の「歴史書懇話会」という、
複数の出版社が入っているブースでした。
そして今年は、
「歴史書懇話会」のブースで、衝動買いをしてしまいました。(写真)
『出雲大社』 第八十二代出雲国造 千家尊統 学生社 1968/08
『伊勢神宮』 櫻井勝之進 学生社 1998/04
古書じゃありませんよ。
(V)o¥o(V)
その後、合流した同行者さんに、
「こんなん見つけちゃいました~」と見せ、
「どうなろうとしてるんやろね、私」と、
自分でもなんでこのあたりの本まで気になっているのかよくわかってないことをしみじみと実感し、
もうヘロヘロですから帰りましょうか…と出口に向かったところで、
今年のブックフェアに呼ばれた(いや、勝手に出かけて行ってたんですけど)理由はこれかいな!と思うものとで出会ってしまい、
そこでサブイボ出してきゃあきゃあ言って、
帰る気力もなくしてしまうほどすっかり疲れてしまったのですが、
その話はまた今度。
(V)o¥o(V)
あれから数日。
ちらほらと、今年のブックフェアの様子や感想記事を見かけるのですが、
私の興味関心とはまったく違うところで盛り上がっていたようです。
いや、ほんとうは、
事前にわかっていたセミナー・イベント情報などから、
今年は電子出版についての議論や、
その影響についての関心が高いことはわかっていました。
だけど私は、そのことへの関心がどうにも向かないのです。
「紙」か「電子」か?
これからの本の形がどうなるのかケンケンガクガクなのかもしれませんが、
私はそれ以前の問題として、
今の子どもたちを取り巻く本の環境を見ていれば、
10年後20年後に読み手(読者)は育つのか?
とさえ思うことがありますから、
「紙」だろうがなんだろうが、
文字(文章)を読むこと、
読んで理解すること、想像すること、感動すること、
ができるのか?
実はそれ自体の危機感の方が大きいのでは?
と思っています。
絵本を、
子育てに必須とする理由さえ、危ないのでは?
と思って、
一人でゾッとして、
いやいや、
それは私の思い過ごしですぅ~。と思ってみたり。
でも、
もしかしたらもしかするかもしれませんし。
子どもが読む最初の本が「絵本」で、
それを0歳から与えるのが良し!とするのなら、
もう少し、考えることがあるような気がします。
ほんとうは、子どもに最初に与えたいのは、
親と子の親密で個性的な、
その子が育つ環境に密着している豊かでおおらかな、
「ことば」だったり「お話(物語)」なんじゃない?
と思います。
そしてそれは絵本にはない、
絵本以前の「ことば」であり「物語」であるはず。
でも今は、それがうまできない、とか、
どうしていいかわからない、という親が多く、
そんな親のニーズに応える振りをして「絵本」が利用されているように見えてなりません。
親世代がもうすでに子どもと交わす「自分のことば」をなくしているという現実に、驚く人はいないのかしら。。。
私の疑問や危機感は、そこにあって、
だから、
電子書籍でもなんでも、文字(文章)を読む読み手がいてこその「本(書籍)」でしょ!
と思ってしまいます。
読書離れ、どころの問題ではない、
ことば離れ、文字離れ、文章離れがはじまっていると思うのは、
私の思い過ごしかもしれません。
でも、
もしかしたらそうではないかもしれませんし。ね。
う~ん。
ズレてるかも。
今日の神様 ― 2010年07月17日
そんなわけで、
東京国際ブックフェアに呼ばれたと思ったのが、
『日本の神様カード』 大野百合子/著 三橋健/監修
株式会社ヴィジョナリー・カンパニー 2008/04
ヘロヘロ状態の帰りがけに偶然見つけたブースで、
「こんなカードありますよ」と教えてもらいました。
なになに?『日本の神様のカード』?
不思議顔で眺めていたら、
タロットカードの日本の神様バージョンと思ったらいいと説明を受けました。
ためしに一枚引いてみます?
と、係りの人に見本のカードを渡されたので、
えええ?と思いつつ、
なぜか真剣に集中してカードを切る私。
よし!これだぁ!
と、確信を持って引いた一枚を同行者さんに向けて見せると、
なにやらびっくり顔。
えっ?
何か変なカード引いちゃいましたか?
と、おそるおそる裏返して見ると、
亀甲紋の家紋に「大国主神」の文字。(写真)
うわっ!
いきなり引いたのが、出雲大社に祀られている神様。
で、
直前の衝動買いの本『出雲大社』(学生社)のこともあり、
うわわわわ~。
私の反応の大きさにキョトンとしている係りの人をよそに、
サブイボ出して、しばらくザワザワしておりました。
そして『日本の神様カード』お買い上げ。
その後も、
今日の神様は?と、一枚カードを引いてみると、
「建御名方神(たけみなかたのかみ)」(大国主の子)
「建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)」
と、出雲に関わる神様が続きました。
もちろんそれはたまたま偶然のことなのですが、
それでも、さすがにそれが三度も続くと、
ちょっとアヤシク、変にコワクなり、
それからしばらくは触るのやめました。
数日後に引いてみると、よその神様。
それでなんだか安堵して、気楽に一枚引けるようになりました。
出雲の神様が出てきた理由を、
私は私なりに理解しています。
そんなん出でこんでも、近々ちゃんと行きますから~。
そんな感じ。
東京国際ブックフェアに呼ばれたと思ったのが、
『日本の神様カード』 大野百合子/著 三橋健/監修
株式会社ヴィジョナリー・カンパニー 2008/04
ヘロヘロ状態の帰りがけに偶然見つけたブースで、
「こんなカードありますよ」と教えてもらいました。
なになに?『日本の神様のカード』?
不思議顔で眺めていたら、
タロットカードの日本の神様バージョンと思ったらいいと説明を受けました。
ためしに一枚引いてみます?
と、係りの人に見本のカードを渡されたので、
えええ?と思いつつ、
なぜか真剣に集中してカードを切る私。
よし!これだぁ!
と、確信を持って引いた一枚を同行者さんに向けて見せると、
なにやらびっくり顔。
えっ?
何か変なカード引いちゃいましたか?
と、おそるおそる裏返して見ると、
亀甲紋の家紋に「大国主神」の文字。(写真)
うわっ!
いきなり引いたのが、出雲大社に祀られている神様。
で、
直前の衝動買いの本『出雲大社』(学生社)のこともあり、
うわわわわ~。
私の反応の大きさにキョトンとしている係りの人をよそに、
サブイボ出して、しばらくザワザワしておりました。
そして『日本の神様カード』お買い上げ。
その後も、
今日の神様は?と、一枚カードを引いてみると、
「建御名方神(たけみなかたのかみ)」(大国主の子)
「建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)」
と、出雲に関わる神様が続きました。
もちろんそれはたまたま偶然のことなのですが、
それでも、さすがにそれが三度も続くと、
ちょっとアヤシク、変にコワクなり、
それからしばらくは触るのやめました。
数日後に引いてみると、よその神様。
それでなんだか安堵して、気楽に一枚引けるようになりました。
出雲の神様が出てきた理由を、
私は私なりに理解しています。
そんなん出でこんでも、近々ちゃんと行きますから~。
そんな感じ。
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