ズレてる?2010年07月14日

今年も、
なんちゃって本屋「不機嫌図書室」代表とはったりかまして、
東京国際ブックフェアに行ってきました。

会場の東京ビックサイトの熱気はすごく、
なにこれ?
あんまり近寄らんとこ!
な感じで歩いたつもりでしたが、
そもそもの人の多さに最初から飲み込まれてしまっておりました。

今年も、私の興味は児童書ブースではなく、
自然科学書の「自然科学協会」と、
人文・社会科学書の「歴史書懇話会」という、
複数の出版社が入っているブースでした。

そして今年は、
「歴史書懇話会」のブースで、衝動買いをしてしまいました。(写真)
 
 『出雲大社』 第八十二代出雲国造 千家尊統 学生社 1968/08
 『伊勢神宮』 櫻井勝之進 学生社 1998/04

古書じゃありませんよ。

(V)o¥o(V)


その後、合流した同行者さんに、
「こんなん見つけちゃいました~」と見せ、
「どうなろうとしてるんやろね、私」と、
自分でもなんでこのあたりの本まで気になっているのかよくわかってないことをしみじみと実感し、
もうヘロヘロですから帰りましょうか…と出口に向かったところで、
今年のブックフェアに呼ばれた(いや、勝手に出かけて行ってたんですけど)理由はこれかいな!と思うものとで出会ってしまい、
そこでサブイボ出してきゃあきゃあ言って、
帰る気力もなくしてしまうほどすっかり疲れてしまったのですが、
その話はまた今度。

(V)o¥o(V)



あれから数日。
ちらほらと、今年のブックフェアの様子や感想記事を見かけるのですが、
私の興味関心とはまったく違うところで盛り上がっていたようです。

いや、ほんとうは、
事前にわかっていたセミナー・イベント情報などから、
今年は電子出版についての議論や、
その影響についての関心が高いことはわかっていました。

だけど私は、そのことへの関心がどうにも向かないのです。

「紙」か「電子」か?

これからの本の形がどうなるのかケンケンガクガクなのかもしれませんが、
私はそれ以前の問題として、
今の子どもたちを取り巻く本の環境を見ていれば、
10年後20年後に読み手(読者)は育つのか?
とさえ思うことがありますから、
「紙」だろうがなんだろうが、
文字(文章)を読むこと、
読んで理解すること、想像すること、感動すること、
ができるのか?
実はそれ自体の危機感の方が大きいのでは?
と思っています。


絵本を、
子育てに必須とする理由さえ、危ないのでは?
と思って、
一人でゾッとして、
いやいや、
それは私の思い過ごしですぅ~。と思ってみたり。

でも、
もしかしたらもしかするかもしれませんし。


子どもが読む最初の本が「絵本」で、
それを0歳から与えるのが良し!とするのなら、
もう少し、考えることがあるような気がします。

ほんとうは、子どもに最初に与えたいのは、
親と子の親密で個性的な、
その子が育つ環境に密着している豊かでおおらかな、
「ことば」だったり「お話(物語)」なんじゃない?
と思います。

そしてそれは絵本にはない、
絵本以前の「ことば」であり「物語」であるはず。

でも今は、それがうまできない、とか、
どうしていいかわからない、という親が多く、
そんな親のニーズに応える振りをして「絵本」が利用されているように見えてなりません。

親世代がもうすでに子どもと交わす「自分のことば」をなくしているという現実に、驚く人はいないのかしら。。。

私の疑問や危機感は、そこにあって、
だから、
電子書籍でもなんでも、文字(文章)を読む読み手がいてこその「本(書籍)」でしょ!
と思ってしまいます。


読書離れ、どころの問題ではない、
ことば離れ、文字離れ、文章離れがはじまっていると思うのは、
私の思い過ごしかもしれません。


でも、
もしかしたらそうではないかもしれませんし。ね。


う~ん。
ズレてるかも。

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