桜の季節ですよ2011年03月30日

東京でも桜の開花宣言がありました。
ので、
のんきに、
今年もお花見の頃になったなぁ~と思っていましたら、
お花見の自粛を求められているという情報にぶちあたりました。

都知事の発言と、関連情報、
それへのコメントを、
ネットのあちらこちらで見かけました。

なんでしょう。
この、しんどさ。
それは、
お花見の自粛とその是非について語る言葉だけにではありません。

ここのところずっと感じていた、
巷にあふれ流れている言葉へのしんどさ。
そのしんどさの正体が見えたような気がしました。



誰かが発した言葉が、
瞬く間に、
たくさんの人の心をふるわせている様子に、
正直、たじろいでいます。



悲しみや、
不安や、
心配、といったものを生じさせる、心がざわつく言葉だけでなく、
安心や、
励ましや、
勇気、といったものを与えてくれる、心が前をむく言葉であっても。


先の見えない、
明日、ではなくて、
今この瞬間にも次どうなるかわからない状況の中にあって、
聞きたい言葉を手に入れ、
不安定な状態を安定させたいと思うのは、
私もそうだからよくわかるのですが、
その言葉が繰り返され、積み重なっていくうち、
それ以外の言葉は聞かれなくなっていき、
そして自分でも言えなくなっていき、
やがて、
それ以外の感情を持つことさえしてはならなくなるのではないか、
と思われ、
なんだか息切れしてきそうなのです。

それがしんどさとなってきているのです。

私の。しんどさに。


行動することも慎むことも、
そもそも言葉で表明することではないと思っているのですが、
今は、
その言葉が必要以上に求められているような気配があります。

その求めに応じなければ動けないとでもいったような気配が。


正しい言葉は、正しくあればあるほど美しく、
美しい言葉は、
その言葉を手にしているだけで、
私そのものが美しい人であるような気にさせてくれます。

でも私は、
そんな正しくないし美しくないし、
強くもないし、
がんばりも長くは続かないし、
無理はしたくないし、
したくても、できひんし。

ということがわかっているので、
ああ、今はちょっとしんどいかも。と感じているのです。



長期戦なので、このたびは、
時には言葉を持たず、
人の思惑など関知せず、
ただ、
回転しながら宇宙空間を移動し続けているこの地球の上にたたずんで、
めぐる季節のあれやこれやをしばし眺めていたいです。


桜の季節には、桜を。

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