あの夏もこの夏も2011年08月05日

主人公に共感できない読書はしんどいです。

 『わたしの中の遠い夏』 アニカ・トール 菱木晃子/訳
                  新宿書房 2011/6 (写真)


「ステフィとネッリの物語」の4部作シリーズの著者、
アニカ・トールの新刊と知って、
きゃあきゃあしながら開いた本でした。



“スウェーデンの人気児童文学作家アニカ・トールが、初めて大人向けに書いた長編小説” (訳者あとがき)

とあるように、この物語は“大人向け”です。


でも、私には「大人感」を受け取れませんでした。



物語は、新聞の死亡記事を目にした女性(とその夫)のある朝の台所の描写から始まります。
そこから、死亡した男性と女性(とその夫)の関係、女性の男性への想いが、秘密の匂いをまき散らしながら語られていきます。

「わたし」は30年も昔の、
ずっと昔のあの夏の「わたし」に迷ったままでいて、
今の「わたし」を停止させ、
「わたし」は、
「わたし」は、
と言って、読者に、
「わたし」の過去と現在を語ります。

聞いている(読んでいる)私は、
ついつい、口を挟みたくなることが続きました。

あなたが反応するのは、そこ?

それは過去を振り返っているのではなくて、
迷って停止している自分をみつけ、
うろたえているのではないの?



“成熟した女性の皮膚の下には、若くて傷つきやすいもうひとりの自分が存在しています”

アニカ・トールは「著者あとがき──日本語版に寄せて」で、
主人公の女性を語っています。


成熟した女性? と思ってしまいました。

傷つきやすいままで、
傷つくことを避け、
傷つかないタフな大人の女性になったと思い込んでいるかわりに、
その傷を、
夫や子どもたち(特に娘)が受けてきているのではないの?と、
聞いている(読んでいる)私には思えてなりませんでした。





「あの夏」は、1970年代。

時代の変化が若者たちを突き動かし、
輝いて見える未来を前に、
若者たちが自由に大胆に青春を謳歌していた様子が、
「わたし」が語る「あの夏」の出来事で描かれます。


「あの夏」の主人公と同世代の人には、
共感できる女性の物語なのでしょうか。

共感できないのは、世代のせい?

だとしたら、
「あの夏」当時はまだ子どもで、
時代の空気がよくわからない私が読む物語ではなかったのかもしれません。



それに、きゃあきゃあしすぎていたのかもしれませんねぇ。。。






大切なのは「あの夏」じゃなくて「この夏」!



なぁんて、たいした予定のない「この夏」の私は言うのでした。