北極へ行ったことがないホッキョクグマの物語2012年07月26日

 『雪の練習生』 多和田葉子
               新潮社 2011/1 (写真)

クヌート。

と聞くと、
小さなクマの姿が出てきます。

クヌート。

小さくて、まっ白で、
かわいらしくて、
その映像が世界に配信され、
ベルリン動物園の大スターになったシロクマ。

クヌート。

その実在したクヌートをモデルに、
クヌートの母、祖母へと遡り、
それぞれの物語がそれぞれの視点で語られていきます。


物語は、
サーカスで活躍したのち、
自伝を書き始めた「わたし」の文章から始まります。

ホッキョクグマが自伝を書く?

というところで思考停止してしまうと、
この物語は読めなくなってしまいます。

「わたし」は、
人間の言葉を話し、会議にも出席し、
自伝を書き、
そして亡命します。

ホッキョクグマは人との境をなくし、
その娘「トスカ」、
トスカの息子「クヌート」へと、
物語は世代をつなげて語られていきます。


語り手もかわり、
夢と現実の境も揺れだし、
狂気じみてみえる人間たちが哀しくもあり滑稽でもあって。

そんな中、
北極を想うホッキョクグマの姿が、
人との境をなくしたあたりまえの物語の中に違和感を与え、
私は、
ふと我に返ったりしたのでした。



実在したクヌートはもういませんが、
「わたし」の孫であり、
「トスカ」の息子である「クヌート」は、
今も物語の中のベルリン動物園にいて、
ひらひら降り落ちる雪を見上げて、
北極を想っています。


ホッキョクグマは人、ではないのです。