しんどい読書2009年11月03日

腰痛安静布団中読書のおかげで、
短期集中読了。

 『チェチェン 廃墟に生きる戦争孤児たち』
      オスネ・セイエルスタッド 青木玲/訳 白水社 2009 (写真)

そうでなければ、
なかなか読み進めなかったと思います。
あるいは、
途中で放棄。

なんだかね、知ってどうする!って思ってしまいました。

知ったところで、どうなるものかと。

でも、読了して、ここまでは知りました。

知れば考え、考えれば注意深くなります。

チェチェン、のこともですが、
ロシアのことも気になってきます。
トルストイをちゃんと読まなくては…とさえ思います。

テレビや新聞やネットの情報に立ち止まることが増えていきます。

“残念なことに、重い読後感を焦燥感に変えるような事件が、二〇〇八年から〇九年にかけても頻発しています。”

と「訳者あとがき」にあり、この本に登場している人たちの「その後」が記されていて、それは、逮捕・拘留・拉致・射殺、であったりしています。

真相は不明。

著者であるノルウェーの女性ジャーナリスト、オスネ・セイエルスタッド(ASNE SEIERSTAD 『カブールの本屋』イースト・プレス ではアスネ・セイエルスタッドとなっています)の身の上だって案じられています。

この先、世界はどのように動いていくのでしょうか。

そして、女性たちは?

本を放り出したくなったのは「第20章 名誉殺人」を読んだ後。
弟が姉を殺した現実を生々しく知った後。
身内以外の男と一緒にいるという噂のために。

弟は言います。

 “「僕は普通に生きたいんだ、まっとうな市民として。イスラーム法に従って生きたいんだ。女は男に従わなきゃいけない。妻は夫に、姉妹は兄弟に」”
 “「噂だけでも人を殺す理由になる。(中略)僕は立派なことをしたと思ってる。誇りに思うよ。おかげで胸を張って歩けるんだ」”

戦争で両親を亡くし、兄弟姉妹がバラバラになり、消息不明となった姉の「噂」を聞き、探し歩き、見つけ、そして殺した弟。

姉の死体については、
 “「どっかの犬が見つけて食っただろうな。あまり丁寧に埋めなかったから」”
と語る弟は、姉が、夢に出てくるとも言います。

そして、この話をしたのはこれまで二度しかないと。
一度めは育ての親と兄のような孤児仲間に。
二度目は結婚して半年たった妻に。
妻は「なぜ殺したの」と聞き、
 “「殺さなければ姉を守れなかったんだ」”と答えたと言います。

守るってなにを?
お姉さんを?
そして今度は妻を守るの?
あるいはもうじき生まれてくる子が娘ならば、その子を?

そうやって、
女性は守られ、奪われてきたのかもしれません。
命を、生きる力を。

宗教ってなんなんでしょう。

そして、本を放り投げたくなった私!

でも、最後まで読みました。

ああ、しんどい!
腰痛よりもしんどい!

というか、腰痛、ずいぶん治ってきました。
自転車乗りも復活しましたから、
食材買い出しに出かけて、
せめて、
おいしい夕ご飯作ることにします。

悩んではいけません。2009年11月05日

腰の痛みは、ずいぶん治まってきました。

朝の起床もスムーズ。
なんの支障もなく起き上がり立ち上がれます。

どうやって身体を起こしたらいいのか、
ああやったりこうやったりしながら立ち上がっていたのに。

着替えもスムーズ。

ただ、靴下や靴を履くときの痛みは最後まで残りました。

そしてここらでひたすら安静治療をそろそろ終わりにして、
ちょっと運動してみる気持ちになりました。

病院でもらったパンフレットに、
「慢性腰痛を軽くする体操」があって、
1から7までの体操が紹介してあります。 (写真)

ゆうべ試しにやってみましたら、
思った以上の運動量でした。

痛みが出たら即中止と決め、オソルオソル動かしつつ全体操終了~。

今朝は筋肉痛もなく、
それどころか、いつもより身体が軽く感じました。

安静にしすぎて、身体が固まっていたみたいです。

適度な運動と適度な安静へと、腰痛治療は一歩前進です。

パンフレットには、
「日常生活のポイント 腰にかかる負担を軽くするコツ」
というのもあって、
そこにグッときたコメントがありました。

 “悩んではいけません。努めて自身をもちましょう。”

あの、腰がギグッだかグギッだか、身体の内で音を立てたときの衝撃は、忘れることができません。
そして、腰砕け的な状態への身体の急変への戸惑い。

た、立てる、かな?
立てた…がしかし、歩ける、か、な?
うっ、無理、かも、、、どうしよ。。。。

あのときの焦りと不安。

立ったまま身体は固まり、
これからどうしたらいいのか、考えているつもりなのに何も決められない。

しばらくして、気を取り直して足を動かしてみると、歩けました。
よし!歩ける。
ということがわかると、
やろうとしていたことの続きをとりあえずやろうとしました。
いつも通りに動いてみながら、痛みの様子をうかがい、動けることと動けないことを把握しようとしました。

一人だったので、誰かに助けてもらうことはできませんでしたから、
それはそれは、孤独で頼りない状況でした。
思い出してみると、よくまぁ冷静にできたなぁと思います。
とりあえず、動けはしましたからね。
それはとても助かりました。

今回は、それが家の中でのことだったのでまだよかったのですが、
もし、出先で、しかも一人だったら…どうしてたでしょうね。

そしてそこに不安を持ってしまうと、
自分にすっかり自信がなくなってしまい、
出かけることを避け、人を避け…となってしまいそうです。

なのでこの言葉は、
無意識にそうなるかもしれなかった私を、うまいこと励ましてくれました。

悩んではいけません。「努めて」自信をもちましょう。なのです。

努めて。

努めて自信をもつんです。

つとめて。

いい言葉。と思います。

腰痛に限らず、へこたれることや凹むことはよくよくありますから。

自信をなくす出来事なんて、そこいらじゅうに転がっていて、
お好みでどれでもお好きなものを好きなだけどうぞお持ちください的な気軽さで、いただいてしまいそうです。

そういうことがあまりに多いから、逆に鈍感になって、
そう凹むことがないように思っていましたが、
じゃあ、ちゃんと自信をもっているのかと聞かれれば、
自信なんて、ありません!と胸を張って答えられてしまいます。

なので、「努めて」なのです。

努めて、自信を持つのです。

いいなぁ。

努めて、持ってみます。

根拠のない自分への自信!

そういうのもあっていいんじゃないでしょうか。

私を支えているのは、まずは、私自信ですから。

さんたさんちではありません2009年11月08日

今朝、
カーテンを開けたらベランダに不思議なものが落ちていました。(写真)

「さんたさん」への手紙(メモ)のようです。

「なりたひがし」はこのあたりの住所。

差出人は「ああちゃ」?

心当たりなし。

裏にも何やら書いてあって、「きゅあ」という文字だけ読めます。

きゅあ。きゅあ。
…って、もしか、プリキュア?
それって、アニメでしたっけ?

サンタさんにお願いしたいものなのかしら?


昨日は午後からりとるにいたので、
代わりに洗濯物を取り込んだカメ係に聞くと、
「そうえいば昨日の夕方にもあった」とのこと。

ということは、昨日のお昼過ぎに誤配(?)されたのね。

って、もしか上の階のベランダから捨てた?
いや、
空へむかって届けた?

う~ん。
なんだか楽しいことが起きていたみたいですね。

でも、残念やら申し訳ないことに、
我が家は「さんたさん」の家ではありません。

捨てたものであれば、我が家で捨ててしまうのだけど、
届けたものだとしたら、どうしたものかと…。

なんて、ほんとは悩むことではないのでしょうけど。

なんだかね、
遠い遠い我が家のクリスマスの記憶が思い出され、
捨てがたいのです。

カメ係も、お手紙書きましたから~。

サンタさんの代わりに受けとったのは私でした。

ということで、
とりあえず受けとっておくことにします。
お返事はできませんけど。。。

そうねぇ、クリスマスねぇ。
私は、サンタさんに何をお願いしようかなぁ。

などと、しばし妄想の日曜の朝でした。

いちじゅうひゃくせんまんじゅうまんひゃくまん…2009年11月13日

仏像を見てきました。

 「大佛師 松本明慶 佛像彫刻展」
         (東武百貨店 船橋店  ~17日)

写真は入場券。

池袋で開催のときは知らず、
京都のときは腰痛で動けず、
宇都宮のときはエネルギー不足で動けず、
そして、船橋。
勢いのあまり、初日に行ってしまいました。

会場は一種独特な空気に満ちておりました。

仏像をはじめ、展示されている作品は販売されています。
なかには「参考作品」として値段のないものもありましたが、
「ご注文・ご相談を承ります」の表示もあり、
「商談コーナー」らしき椅子とテーブルもありました。

買いに行ったわけではありませんが、
ちなみにおいくら?と値段を見ましたら、普段見慣れない桁数。
いちじゅうひゃくせんまん…と数えて、せんまん…。

いっ!せん!まん!

正確には10,500,000円。

おそらく、消費税込。

最初は驚きましたが、
そのうち、
そんなものなのね、と慣れてきました。

ほとんどのものは数百万円。

百万しないものもいくつかあって、
それは値段の桁が少なくて、
なぜだかほっとする奇妙な感覚に陥ってしまいました。

もちろん、お買い上げになった方はいらして、
一千万近くのものにも、お買い上げ赤丸シールが貼ってあります。
なかには、5個の赤丸シールがあるものもありました。

初日、オープンして4時間ほどなのに…。

あまりの高額に、
買うとか買わないとか、
欲しいとか欲しくない、などという考えそのものがなくなって、
ただ、見ておきたいという思いだけで会場を歩きました。

一度、この目で見たかったのです。
松本明慶氏の仏像。
とその色、「彩色」を。

それはもう何年もココロの底に沈めていた願いでしたが、
なぜだかふと、思い出して検索したところ、
今回の彫刻展の情報を得たのです。

京都に美術館があることも知りました。

そして実際に目の当たりにした「彩色」は、
すばらしい、とか、すごい、とか、きれい、とか、うつくしい、とか、
そのような言葉では伝えきれません。

それはまるで、この世のものとは思えない景色でした。

これまで、見たことがない景色。
これからも、見ることのない景色。

おそらく、
この先機会があって、何度も見ることができたとしても、
その時々で違う景色を見ることになるような気がするのです。

それは、私の内なる景色なのだと思います。

それが、「あちら」の景色というのなら、
引き続き、
生きていくことの迷いさえ無くしてしまえる、とさえ思えます。

仏像って、そういう力のあるものなのかもしれません。



畏れ入りました。

たいへんよいものを拝見させていただきました。

ブキミアヤシナツカシカワイラシ2009年11月16日

絵本作家をめざす若い人たちと、
田中清代さんの銅版画展に行ってきました。

 「田中清代銅版画展
   小さいイーダちゃんの花」 (ギャラリー福山 ~11/21)

 『小さいイーダちゃんの花』 
         アンデルセン・原作
         田中清代・文/絵 フレーベル館 2009 (写真)

の銅版画の展示です。

田中清代さんは、
1997年に出た、

 『みずたまのチワワ』 井上荒野・文 
        福音館書店 こどものとも年中向き8月号 (絶版)

を見て、その、ブキミアヤシナツカシカワイラシな絵に一目でやられてしまい、
それ以来、作品を追いかけている好きな絵本作家さんです。

ご縁があってお会いするようになり、
この頃は、
絵本制作の現状のあれやこれやについて、
いろんな人たちと一緒に話し合うことなどできるようになりました。

このとき、ご一緒した若い人たちもその仲間です。

目的はもちろん、展示されている銅版画を観ること。
でしたが、
それらが本になる過程のお話を聞くうちに、
ここでもまた「あれやこれや」話となり、尽きませんでした。

「田中清代のアンデルセン童話」と名付けられたこの本は、A5サイズのハードカバー。
タイトルは金の箔押し。
手書き文字風の変わった活字と色。
などなど、
思わず贈り物やコレクションにしたくなるような造本です。

シリーズが増えたら函入りセットも期待したくなります。

次はアンデルセンのどのお話が本になりますやら。

田中清代さんの作品を追いかける楽しみが増えました。

私としては更なるブキミアヤシな作品を待ち望んでいます。

ブキミアヤシになればなるほど、
ナツカシカワイラシになって、
そこが不思議で面白くて好きなんです。

などと、思っているのは私だけなのかもしれませんが…。