8月、になっているのよ~2010年08月04日

あれもこれも、帰省から戻ってから、
と決めていた、
その、
あれもこれも、の、
日程、その他調整をする間もなく、
いきなりイレギュラーな事態が発生し、
気づけば8月になっており、
さらにあたふた。

これじゃぁもう、
どこから手をつけていいのかわからなくなって、
結局みんな放り出して眠りのヒキコモリに陥りそうになったので、
とりあえず小休止。
アタマの中のあれこれの羅列に句点を打とうと、
その他全部を後回しにして、
6日までの上映と知った映画を見に行きました。

 『パリ20区、僕たちのクラス』 監督 ローラン・カンテ 
                      岩波ホール (写真はチラシの一部)

“観客全員に ドキュメンタリーだと 思わせた驚異のリアリティ”とチラシにありましたし、
いつだったか読んだ新聞の映画評にもそのように書いてありました。

だけど、私はドキュメンタリーみたい!とは思いませんでした。

映画は、
常に言葉にあふれていました。
その内容を理解するため、日本語訳の文字を追いかけるのに必死。

会話、というやや形式的で次の話者を想像できるやりとりではなく、
問いかけたり、
放り投げたり、
ぶつけたり、
攻撃したり、
つぶやいたり、
ささやいたり、
受け止めて返したり、
返さなかったり、
あらぬ方へ飛ばしたり、
飲み込んだり、
連射したり、
援護射撃したり、
さえぎったり、
すべてを拒否したり、
受け入れたり、
受け入れるふりをしたり、
などなど、の、やりとり。

それは、
教室で行われる国語の授業であったり、
先生たちの会議であったり、
先生と保護者の面談であったり、
居残りを命じられた生徒と先生であったり、
懲罰会議であったり、
などなど、の、場面でのこと。

あふれる言葉は沈黙を生まず、
ドキュメンタリーにあるはずの、
「外の音」がもれ聞こえることもなかったように思いました。

それを思ったのは、
映画が終わったあとのエンドロールのとき。
無意識に期待した音楽が流れてこず、
無音のまま文字の列挙が続き、
そういえば、この映画、BGMがなかったかも…と思ったのです。

発せられる言葉と、表情と、しぐさ。

それだけで成り立っていたように思えたこの映画は、
ドキュメンタリー、というよりは、舞台劇のようだったと思いました。

そこに、リアルな息づかいや緊張感、
空気の揺れを感じられたのだと思います。


学校の様子や、子どもたちの家庭環境、事情には、
フランス(パリ)ならでは、と思うものもありましたが、
子どもたちと、
彼らを見守り支え育てる大人(先生・親)たちの姿は、
どこも同じ。

人と人との係わりやつながりの中で、
子どもも大人も育ち変化していくんだなぁと、
しみじみと見終わりました。


岩波ホールでの上映は6日まで。
最終上映が近いので、お客さんは少ないだろうと思っていましたが、私が見たときは満員に近い状態でした。

ご興味のある方はぜひ!
余裕を持ってお出かけください。
暑いですしね~。
あっ、でも、会場に入ると冷房ですぐ冷え冷え寒む寒むになりましたので、
そちらもお気をつけください。

足元が冷えると腰にきますから。

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