長丁場2009年08月03日

りとるの夏の読書会スペシャルに参加しました。

「魂の作家クルト・ヘルトが遺したもの
  ~酒寄進一さんと読む新訳『赤毛のゾラ』~」 (8/1)

写真は、りとるの店先。

 『赤毛のゾラ』上・下 クルト・ヘルト 
         酒寄進一 訳 長崎出版 2009

第1部  午後2時~午後5時
休憩   午後5時~午後6時 (酒寄さんを囲んで懇談会)
第2部  午後6時~午後9時
夕食会 午後9時~終電に間に合うまで

スケジュールを知ったときは、冗談かと思いましたが、
冗談ではありませんでした。
そして、読書会は開催され、盛況のうちに終了しました。

『赤毛のゾラ』を読んだときは、
訳者の酒寄さんのお話を聞く機会があるとは思っていませんでした。
なので、第1部での緻密な作品解釈の話しを聞きながら、物語はそういうふうに読めるのか…!と、なんだか、学生時代の講義やゼミのような緊張感と楽しさを味わうことができました。

りとるの読書会は毎月行われています。

今回は夏のスペシャルということで、講師の先生をお呼びした特別バージョンでしたが、普段は、事前に決めたテキストを読んで感想などを自由に語り合っています。

その、読書会。私は参加しなくなってずいぶんになります。
今回、読書会仲間の人たちにも久々にお会いすることができて、みなさんの変わらない読書家ぶりが、楽しく面白く。そして刺激的でもありました。

ただ、私は、児童文学を中心として、どんな人に薦めたい本か、を考えながら読んでいることが多いので、私個人の好みや感想を意識することがあまりありません。
だから、読書会という場で自分の感想や意見を主張し合うことに、ちょっと距離を持つようになっていました。

今回、講師である酒寄さんの問いかけに、リズムよく答えていくみなさんのやりとりを聞きながら、その距離の大きさが、なんとなく思っていた以上に大きいことを自覚しました。

自覚したぶん、そのやりとりが新鮮で、面白いと思ったのですけれど、その問いの答えを考えようとしない自分の思考状態も、実は、ヒソカニ面白がっていたのでした。

『赤毛のゾラ』については、主人公の子どもたちの親(血縁者)の不在が、物語の重要な設定と私は考えています。

親はなくても子は育つ。
けれども、
大人がいなければ、
子どもは子どもでいられず、育つ(自立する)ことはできない。

大人が大人でいることの重要さと困難さを、この物語は描いていると思います。
その困難を乗り越えた大人たちが、親のいない子どもたちを救うこの物語は、そういう意味で、現代のファンタジーと思いました。

今年また、新訳で復刊されたことの意味も、そこにあるのでは…。

と思って、私は大人にオススメしたい本と思っています。

なにはともあれ、超!長時間の読書会、お疲れさまでした!