「キノコはおどる ぱぱ らぱ おどどー」2010年06月13日

作者デイジー・ムラースコヴァーは、
チェコを代表する画家だそうです。

 『なかないで、毒きのこちゃん 
    森のむすめ カテジナのはなし』(写真)
      デイジー・ムラースコヴァー/作
      関沢明子/訳 理論社 2010/03

“「緑色の血」が流れる、生まれながらの森のあるじ”である猟師。
その猟師の娘で、
“やはり「緑色の血」をもった森の娘”カテジナ。

カテジナと、森の生きものたちが奏でる森の物語が、短いお話を積み重ねて描かれています。

物語に添えられている絵はカラー。
文章は横組み。

物語絵本、とも、童話集、とも違う、
不思議な魅力いっぱいの本です。

森の少女カテジナが、リスやウサギ、カシの木、シカ、キノコ、トカゲ、虫や鳥、ヤマネコ、花、ヒキガエル、クマ、など、たくさんの生きものと会話するお話、と聞けば、
どこか甘くて幼い子の物語と思ってしまいそうです。
けど、
それだけではない、
神話、とも、寓話、とも違う、
哲学や真理といったものを感じさせながら、
もっと身近で、根本的な、
人や生きものや森や、それらを全部含んだ生きるものの世界の、
生きる喜びや不思議が語られ、描かれています。

森も、
静寂も、
夕方も、
また、
生きる喜びを語るもの、として、
あたりまえのようにカテジナの世界にいます。

そして、その語られる言葉の豊かなこと。

宮澤賢治もびっくり(?)のオノマトペには、
思わず、
誰も聞いていないのに声に出して読んでみたくなるほどの面白さがあります。

「クマにはわからない」のクマ。
「口のたっしゃなウサギ」のヤーチーチェク。
「泣きむしのベニテングタケ」の毒キノコ。

など、
森の生きものはみな個性的で魅力的。
語る言葉は時に辛辣で、
ぷぷっと、笑いももれてきます。

“わたしはみんなにきらわれているの”と泣く毒キノコ。
“わたしをわざとふんづけていく人がいるの”と泣き、
カテジナが、
“そんなことするのはばかな人だけ……”と慰めるのですが、
毒キノコは、
“だってそんなばかがいちばん多いんだもの。おうおうおー”
と泣き続けます。

「おうおうおー」

いい泣きっぷりです。

そして私にも泣きたい気分になることがあるけれど、
「そうよ!みんなばかばっかりなのよ!おうおうおー」と一声叫んだら、
それですっきり!
泣かずにすませられそうな気がします。

それから、
カテジナが毒キノコをどうやって泣きやませたかのお話は、
本を読んでお楽しみいただければ、と思います。


チェコの森に行かなくてもカテジナに会えるから、
本ってやっぱり面白いですね。
って言うと、
“なまけものってわけだ”と、
「クマにはわからない」のクマに、また言われてしまいそうです。

“つまり本とは、鼻のきかないなまけもののためにあるんだな。
 くだらん。
 おれの子どもには見せたくないもんだな”

と言うクマですから。

つまりクマは、
出かければ会えるやん!と言いたいのです。
本で見るんじゃなくて、出かけていけば、と。

たしかに!

でも、そんなシンプルな世界に暮らしているわけじゃないから…。

けど、そんなことを言うクマも魅力的。



その、クマにも会えます。

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